本気より本音が勝つとそうなる。

なんとなく周りにもこういう人いるなー。



ブログが更新されたので読んでいて思いました。長谷川豊さんのブログ、「本気論 本音論」。情弱な私にはためになる勉強の場でもあったし、物事を考える切っ掛けや素材を戴いていたネタ帳でもありました。
ふとした時に何度か思ってはいたのですが、ここ最近の問題発言を経てからこっち、確信に近い思いを抱いております。




「この人怒られるの相当嫌なんだな」




と。もしくは、怒られ慣れしていないか、極端な自信家もしくは自尊心が強い。とてもプライドが高くておまけに鼻っ柱も強い。
悪口のように聞こえたらすみません。そのように見えます、思います、という感想でしかありません、念の為。
というのも、今回更新されたブログの記事一つだけ見ても、随所にそういった氏の性格が滲み出ている箇所が見受けられました。
そういう人が私の周りにもいて、時に迷惑だったりするので残念な気持ちに苛まれつつこれを書いています。
まず、今回書かれた10月18日付の記事は『御免で住めば警察はいらない』。僕はいつか、透析患者を減らせるように腎移植を推進する働きかけをしていこうと思う。」というタイトルなのですが…。
許可なく引用しておりますので注意を受ければ消しますが、これコピペです。「御免で住めば」というのは「済めば」と書こうとした誤字だと思いますがそんなことはどうでも良くて、「なんでそう、敢えて他者を煽って自分の首を絞める物言いをしたがるのかな」、というのが反射的に出た私の第一印象です。
あるいは誰かにそう言われたのかもしれませんが、だとしたらもっと酷いし言葉のチョイスのセンスがない。
長谷川さんはご自身のブログ内で、既に謝罪の記事を書かれています。
それなのに、「御免で済めば〜」とはなんなのか。
敢えて良い捉え方をすれば、言葉だけでなく色々考えて行動にも移していきますよ、と言いたいのだとしても、この皮肉ったタイトルは真摯とは言えません。
己の否を認める、反省する、というのは言葉だけでなくもちろん態度や行動にも求められます。
しかし今回の記事を冒頭から読んでいて出て来るのは、他所のブログ記事から文章を無断引用した事へのお詫びをしてきたとか、長谷川さんに物申す!というスタンスの方と直接会ってお話してきた、だの何が言いたいのかわからない日常報告の中に紛れた「言葉だけのお詫び」。

この人本当にお詫びしたいと思ってんのかなーと首を捻ったのが、以前よりちょくちょく出て来ていた「法的本拠」や「私はちゃんと現場を取材していますよ(キリッ)」という外堀を埋めるような作為的な文章。今回もバッチリ書いてます。自己防衛をしているようで、要らないなと感じます。少なくとも、反省真っ只中だと宣言するなら一切の保身は感じさせちゃいけないでしょう。
そして何より、一回転するんじゃないかなというくらい首を捻ったのが、「それでも私は間違っていない」アピールを書いちゃってる事です。



今回、長谷川さんが騒動に発展した記事で取り扱っている題材は、日本における医療問題とお金の話です。決して個人レベルで解決できる話ではありませんが、それでも国民一人一人が「明日は我が身」と関心を寄せて考えていく事は大切だと思います。
そういった切っ掛けを広く読者に与えるべく書かれた記事だと私は思いたいですし、必死で考えた「本気」よりも、言いたい事の「本音」が気持ちで上回ってしまった結果起きた事故だと思いたいです。
長谷川さんも一人の人間ですから、腹が立てば怒ります。
人工透析とお金について考えた時、彼なりに許せない部分や腹の立つ部分があったのでしょうね。そしてそれを「こんな問題がありますが、皆さんどうしたものでしょうかねー?」と言えば良かった場面で、「死ねー」と言っちゃった。
ごくごく簡単に言えばこういう話です。
そこで長谷川さんは考えた。



「死ね」という言葉を使ったのは間違った。一旦そこは謝ろう。でも、考え方は、間違ってないよね?



これでは、反省してます謝罪したいですと言った所で誰が信用するんだ?



「お詫びするっつってもあれよ、ちょっと表現が拙かったかなー、勘違いしちゃった人もいたかもなー、くらいの事よ? 結局俺の言ってること、間違ってねーし!」



と言われた気分です。
そもそも、今回の記事より前に書かれたお詫びの文章内においても、言葉遣いが不適切だった、自身に落ち度がないのに透析治療を行っている患者さんも傷つけてしまった、一方的だった、と反省点を述べれおられますが、見方を変えれば「自業自得の奴は自分でなんとかしろ、出来ないなら死んでね」という考え方には触れず撤回もしていません。
ちょっと怖いなとすら思ったのは、例の記事を受けて、現在治療を受けている患者さんにいらぬ偏見を植え付け、下らない誹謗中傷を誘う可能性のある内容だった〜という部分。
そんなこと誰も思わないよ!
皆びっくりしてるのは、そこじゃあないから。
長谷川さん自身の人間性にびっくりしてんだから。



とまあ、ほんとに反省してるんだか、何を反省してるんだか、何にお詫びしたいんだか分からなくなってくる次第です。
他者を傷つけて、なにか自分に落ち度があったら、素直に謝る。
ただ素直に謝る。それが謝罪。
そこに、「いや、でもね」とか「ただ分かってもらいたいのは」とか言い訳だの独自の解釈だの無駄にくっ付けてくる人は心底悪いとは絶対思ってないね。
悪いと思えば素直に謝りますよあたしゃーね。
というスタンスを言葉で念押ししてくる人程、本気で謝りはしないね。
これはもう社会人あるあるですよね。
長谷川さんはまさにそんな人、のように私の目には映りました。




果ては最終的に人工透析とお金の話から腎移植の話題へスライドして行きます。日本ではまだまだ腎移植が進められていないそうです。世界的には人工透析は腎移植までのつなぎの治療である場合が多い、んだそうです。
長谷川さんもいつか腎移植の推進に助力していきたいそうですよ。



え? なんの話してんの?



うーんやっぱり腹立つなー。
あれだけ意気揚々と、取材結果や過去の例や統計やデータ諸々を用いて、自業自得の人工透析患者や年金システムや保険料の話に鋭く切り込んでいたのに、そっちやめて移植手術の話に移行するってどうなんだよ。と。
一方で「お詫びしたい」(言葉のチョイスに対しては)
一方で「考え方は間違っていない」(データと取材は嘘つかないし)
一方で「でもその話続けると面倒だし移植の話していこーか」(面倒だしね)




おいーーーーーー。
実際どういう了見なのかは知りませんが、簡単に誤解を招くような発言ばっかするってどうなんでしょうか、フリーアナウンサー様。
私の周りにもいますよ。
謝ると見せかけて言い訳してくる人。
謝った次の瞬間にはもう違う話題を仕掛けてくる人。
どんだけ忍耐力ないんだろうってびっくりします。
他人と考え方が違うだけで、私の出した答えに間違いなどあるはずもない。と頭から信じ切っている人種なのでしょうね。
でなければ、謝罪した返す刀で人を切るような真似は出来ません。





長谷川豊さんの「今本当に伝えないこと」って一体どこにあるんでしょうか。




※追記

今回の記事はどうしたって長谷川氏のブログを読んでいないと意味が分からない内容になってしまいました。
ステマとかそんな気は一切ないですし、何度も言うように自分の子供に読ませたい思いで書いているにも関わらず、何年後かに氏のブログが残っているか分からない上でこのような書き方になってしまった事を反省しています。しかし、何かのご縁ですし、今回私の記事を読んでくださった方にはぜひ一度長谷川豊氏のブログを実際に読んでいただきたいな、とも思います。ステマではないですよ。

本音で生きるための努力をしないとね

このひと月ほど自分の事しか考えられなくなっている間に長谷川豊さんがTVの全レギュラーを無くすという事態に陥っている事をついさっき知ってびっくり。色々と氏の発言や考え方を私自身の思いと比較する形で、「考えるという事」において良い切っ掛けをいただいていたので、残念に思います。ただ私は氏の出演しているTVを見た事がないのでその事については何も思わないのですが、あれだけ色々な事柄について熱心に考えておられた方なのに、言葉一つで、言い方ひとつで全くその意図した事は伝えられずに総スカンを食らってしまったというのが、残念で仕方ありません。
とは言え、氏には別にTVに限らずブログやツイッターなどで遺憾なく本領を発揮していただけたら思ったのですが、なにやら「私のブログがウイルスに侵されて仕事の依頼が来なくなって困っています」と仰っているというニュースを目にしてちょっと苦笑い。
どうした品川ならぬどうした長谷川(さん)。
個人的に笑ってしまったネットニュースはさておき、笑えない話。



瀬戸内寂聴さんが、死刑制度に関するシンポジウムあてにメッセージを送り、その中で死刑制度を批判したうえ「殺したがるばかどもと戦ってください」と発言した、とのことです。そのシンポジウムには死刑反対派の人間だけでなく支持する側の犯罪被害者の会の人達もいて、当然心を傷めているという話。
ちょっとびっくりどころではない発言ですね。
マジか、こいつマジか。
一人の人間として、これくらいのリアクションは出ました。
寂聴さんは作家さんとしていくつもヒット作を持つ方ではありますがお名前からもお姿かたも分かる通り、有名な宗派に属した宗教家でもあります。そこそこ位の高い、尼僧様のはずです。その寂聴さんが何を思ったのか、不特定多数とは言え誰かを攻撃する暴言を吐くとはどういう事なのでしょうか。そのシンポジウム自体、死刑制度反対派の為の集まりだと思い、支持側の人間や被害者の会の方達が来ているとは知らなかったのかもしれませんね。
だからと言って、とても宗教家の発言として適切だとは一向に思えませんけどね。
そもそも、本音が「殺したがりの馬鹿どもと戦え」なのだしてもその気持ちを世に伝えて広めていこうとするにあたって、なんの変換もせずそのまま流す馬鹿がどこにいますか。
言葉を生業にする一面を持つ寂聴さんのチョイスとは思えない程幼稚であり、一方的で、優しさや中立性・品性に欠けており、思考力の欠片も感じられない冷徹極まりない内容です。



私自身は、死刑制度賛成派です。
しかし世の中に反対派が居ても仕方がないとは思います。
人の考えはその人だけの物であり、そこに良い悪いはないからです。
仮に良い悪いがあったとしても、他人の思考を妨げることは出来ません。
どんな状況であろうと人が人を殺して良い道理はなく、死刑はその人の道に反している、と主張したければ主張すればいい。
しかし大切な家族、恋人を無残に殺され、犯人に情状酌量の余地などなく反省や改心の可能性も見受けられない、もしくは圧倒的鬼畜であるなどした場合、どうか死んでくれと思うのも人の素直な気持ちだと思います。
そこに善悪をどうしても当てはめたいのなら、殺人者が悪です。
死刑制度を支持する私は人を殺したいわけではありません。
被害者感情として当たり前のように、犯人に死をもって償ってほしいだけです。人権という不平等な法律に守られてのうのうと生きていてほしくないだけです。それだけの事をしたのだから、代償は死であるべきだ、と思っているだけです。
人間を殺した犯罪者と同じように「殺したがりの馬鹿」ではありませんし、無関係の人間に暴言を吐かれるような罪を犯してもいません。
断りを入れるのが遅れましたが、私は近しい人間を誰かに殺されたわけではありません。考え方としてそちら側なだけです。




寂聴さんとしては、宗教家として、たとえどんな極悪人であったとしても、救いを求める人間を導かなければならないし、どんなに外道であっても人としての心を取り戻せると信じたい立場の人なのだと思います。著書を読んだことはないし講演会に行った事もないので分かりませんが、およそ仏教系の宗教家の考え方はそういうものだと思います。
人間という生き物に対し最後まで希望を捨てない。そして他人を赦す、愛する事が大切だと説く。宗教家としてそういうスタンスなのであれば、そこは絶対に曲げられないのだと思います。
それはそうだろうと思います。
紆余曲折の90年を生きてきて、今更大幅にシフトチェンジは出来ないでしょう。私もそこに文句をつけようとは思いませんし、尊重したいと思います。
ただその他人を赦し他人を愛する気持ちが犯罪者には向けられるのに、被害者側には向けられていないように聞こえるのは何故なんだ。
この方はこれまでにも何度か死刑判決を受けた受刑者と交流をもっています。
これから死ぬと決まった人間の心の支えになりたいのか。
それとも死ぬ間際には人間らしい気持ちを取り戻して償いのキモチを持って召されてほしいのか。
知った事ではありませんが、だったらその倍、被害者とも交流を持つべきであると私は思います。
そして他人を呪ってばかりでは傷は癒えない、忘れる事はできなくとも、生きている限りはどんな些細な事でも幸せを追い求めながら進んで行ってほしいともっと腹の底から絶叫して説けよ。全然届かねえぞこの生臭坊主が。




すみません、めっちゃ腹立ってます。
私は宗教家でも批評家でもなんでもないただの一般市民です。
このブログで1円だって儲けようとは思いませんし、ゆえに名前を売りたいわけではありません。主義・主張を広めたい願望もありません。
子供が大きくなった時に、言葉が分かるようになった時に、「お父ちゃんはこんなことを考えて生きてきたよ」と伝える手段の一つに、と考えながらこの文章を打っています。
なので、思ったことはそのまま書きますよ。
時には暴言も吐きます。それが私です。
あまり汚い言葉は残したくないので一応配慮はしますが、あまりに腹が立つとこういう事もあります。





私は自分の主義・主張を他人に広めたいとは思いません。
しかし、世の中にはそう思う人もいますし、そういう仕事の方もいます。
長谷川さんしかり、寂聴さんしかり。
言葉と思想を持って世に投げかけていく事が人生になっている方達です。その事はとても素晴らしいと思いますし、誰かの生きる糧になる事だってあるでしょう。
しかし、何か強い思いや伝えたい気持ちがあるのなら、その伝える為の努力を惜しんではいけないし、効果的な方法を労力を厭わず考えるべきです。
思った事をそのまま言うなんてさっきの私と同じです。
馬鹿の戯言です。
そしてその馬鹿の戯言によって本来傷つくべきでない人を傷つけるなんて愚の骨頂です。
アナウンサーだ宗教家だが聞いて呆れます。




もっとちゃんとして下さい。
ちゃんと考えて、ちゃんと喋って下さい。
こっちはちゃんと見てますよ。
聞いてますよ。

やっと、書ける。

何度もここへ来ては記事を書こうと試みたのですが、どうも何を書いても嘘臭く感じてしまう日々が続き、ひと月近くが経ってしまいました。
その度に少しずつですがカウンターが回っているのを見て、もしかしたら心配して下さった方々がいて、何度も確認に来て下さっていたのかもしれないと思いながらも、書けませんでした。もしちょっとでも、「気にしてたんだぞー」という方がいらっしゃれば、すみませんでした。
おそらく、大丈夫だと思われます。



おそらくと書いたのは、胸の痛みの原因が今回受けた検査では特定出来なかったからです。
しかし、造影剤を用いたCTスキャンと、心臓エコーの結果だけを見れば、心臓機能に問題はないそうです。特に、狭心症の原因の一つである動脈硬化なども起こっておらず、血管が詰まって血流が悪いとか細くなっているという症状は出ていないとの診断を頂きました。そこは素直に喜んで良いと思われます。正直涙が出るくらい、ホッとしました。
しかし、私が懸念されていた安静時狭心症の場合、胸の痛みの原因となる血管の変化は動脈硬化以外にも、痙攣による収縮によっても引き起こされます。
とは言え、その痙攣がなぜ起こるのかは今回の検査では分からず、「安静時狭心症の可能性は消えない」という診断でした。



ただ、前回の記事にも書きましたが、胸の痛みが強くなって病院を訪れたのが9月7日。それまで2週間ほど毎日胸の痛みがあったにも関わらず、病院を訪れた2,3日後にはそこまで急を要するとは思えない程度にまで症状が落ち着いてきたのです。
少しホッとしたものの、全く痛くなくなったわけでもない、という微妙な状態が数日続きました。
その辺りで一度、「この程度の痛みで飲んで良いものか分からないが」と思いながらもニトロを舌下に服用してみました。通常1〜2分で効果が表れる、と説明書きにありましたが頭痛がしただけで劇的な胸の変化は感じられませんでした。
ところが、です。
丁度、病院へ行った翌日あたりから毎日、今度は昼間に胸痛と胸の圧迫感、鎖骨辺りの痛み、息苦しさなどを感じるようになったのです。
これにはほとほと参りました。
腰痛と胸痛のダブルパンチです。
しかし、さすがに私も「気のせいだろう」もしくは「狭心症かもしれないなんて言われたもんだから、気にし過ぎているんだろう」と思っていました。思ってはいるのですが、これは共感していただける方がたくさんいると信じますが、本当に痛いのです。本当に苦しいのです。
心因性であれ、ストレスであれ、考え過ぎであれなんであれ実際痛いし息苦しい。
病は気からと言いますが、実際体に症状が出るのであればそれは確かに病気だし、なんとかしてくれと切実に思います。
決して馬鹿にしたり侮れるものはありませんよ。



病院を訪れて次回検査までのおよそ20日間。
ずっと、毎日痛みがあり、息苦しさがありました。取れた日はありませんでした。それは休日でも同じです。
ストレスが溜まっているのだろうか。毎日不安だし、仕事も忙しい、子育て奮闘中の奥さんにもその不安は影響しているだろうし、自分は決して子育てに積極的に参加出来ているとは言い難い。腰痛だってある、お金もかかる、学資保険の審査だ、病院代だ、もしかしたらこれからもっと治療費が必要になったりするかもしれない、そんなことばかり考える毎日だったので、無理もない話なのかもしれません。
しかし私はこれまで、自分自身がストレス耐性の強い人間だと思って生きてきました。
職場での嫌な人間に対しても、嫌な仕事の内容に対しても、ストレスを家には持って帰らない。2,3日もすれば忘れてしまえる人間だと思い込んできました。
しかしそれはただ単に、煙草と映画と音楽に逃げて、助けられていただけかもしれません。
子どもが生まれて色々と生活内容も変わりました。
煙草はやめたし、好きなタイミングに好きなだけ映画を見る時間もなくなりました。しかし何物にも代え難い生命を頂きました。その事に不満はありません。
しかしこれまでうまく逃がせていたストレスが、今スムーズに排出出来ていないのかもしれません。
もしそういった事が今回の胸の痛みと関係があるなら、私は決してストレスに強い人間ではなかったと言えるでしょう。
詳しい日時は覚えていませんが、とある休日。
夕方前に、ホラー映画を一人で見ていました。
本来なら大好きな外国産ホラー映画を堪能して最高の時間を満喫しているはずなのですが、仕事中にも感じたことがないような胸の圧迫感がいきなり襲ってきました。しかもエンディング付近。映画の山場は当に越えた後です。なので映画の恐怖演出に体が反応したのではありません。
痛くはない。息苦しいとまでは行きませんが、湯船に喉元まで浸かっている感じ。
グーっと胸を押さえられる圧迫感と、本当に軽くですが眩暈もあった気がします。恐怖心による錯覚かもしれません。
「うわ、なんだこれ」と怖くなって、2回目のニトロ服用。
しかし、効きません。また、頭が痛くなっただけ。
椅子に座り直して、お茶を飲んで休んでいると治まってきたのですが、ニトロの効果というには時間が掛かりすぎます。
あとで知ったのですが、ニトロは痛みやその他の症状が出る前に服用しても良いくらい安全な薬のようです。
5分経って効果が出なければ、続けて服用しても平気なのだとか。
もちろん、今後処方される可能性のある方は、お医者さんや薬剤師さんの言葉をよく聞いて、用法容量を守って正しくお使いくださいね。



あと、どこまで関係があるのか分かりませんが、このひと月程は本当によくゲップが出ます。汚い話で申し訳ないのですが、浅い物から深く大きい物まで様々に、数え切れない回数のゲップを出してきました。ゲップをすると息苦しさが少し楽になります。
これだけ頻繁にしていると、胃がんの可能性も出て来るのですが、さすがにそこは胃カメラを飲んだばかりなので、ストレスだという事にしておきましょう。



そんなこんなで当初病院を訪れた理由とは別の症状と戦いながらの20日間を乗り越えて、9月26日に心臓CTと呼ばれる検査を受けました。
これが結構怖い。
そもそも痛い事が異常に嫌いです。
採血程度の痛みは平気なのですが、未知の痛みに対する恐怖が半端ではない。
あ、今なんとなく、こういう所にもストレスに対する弱さが垣間見えていましたね。
分かってると平気。分からない事がすごく怖い。
心臓カテーテルの麻酔が異常に痛いらしい、という話を仕入れていたので、今回のCTにも少し恐怖心を抱いていました。
だって血管に直接造影剤を流し込むという事は、血管に針を刺した点滴状態で検査を受けるんですよね。どの程度の太さの針なんだ?実際血管に薬剤を流される感触ってどんなだ?とか色々考えるとそりゃあ怖くもなりますよ。
実際の注射は、そこまで痛くはありませんでした。
痛くないことはありません。痛いです。
しかしそこまで、です。
「おー、ちょっと痛い」
とは言いましたけどね。
聞き間違いじゃなければ、「少し太い血管を探して刺しますんでね」と看護師さんに言われたと思います。針ではなくて刺した血管によって痛みが違うのかもしれませんね。
あとは、その針を固定した状態で、MRIより全長の短いトンネルを胸元までくぐらせて写真を撮ります。
放射線科による検査ですので、妊婦さんは受けられません。
何度か息を止めて、吐いてを繰り返すのですが、おそらく平常時よりも苦しく感じました。もともと圧迫感や息苦しさを感じていたこともあって、指示より早く限界が来たらどうしよう、息を止めている最中に胸痛が襲ってきたらどうしよう、とか良からぬことばかり考えてしまいました。
そのせいか、「脈が少し早いので、抑える薬を入れますね」とお医者さんに言われる一幕も。
舌下に液体スプレーも掛けられましたが、何をされたかはっきりと覚えていません。軽い頭痛を感じたので、ニトロのような薬かな、とうっすら思った記憶があります。
20分近く息を止めたり吐いたり、トンネルをくぐったり出たり。
やがて別室から聞こえます。
「はい、じゃー、造影剤を流して写真を撮りますねー」





「あ、まだ流してなかったんだ!?」




思わず突っ込みを入れそうになりました。じゃあ最初に腕に針を刺して液体をポタポタさせていたのは何が入ってたの?
今もってその正体は分かりません。
「造影剤を流した瞬間は体がカーッと熱くなりますからね、でも大丈夫ですよすぐ治まりますんでねー」
「そう言えばそんな話聞いたことあるなー」
程度の印象だったのですが、
「はーい、行きまーす」
からの、
グアアアアアアアアアア、っとくる感触はまさに、
「うわ!これやばいやつだ!吐く奴だ!」
です。物凄く熱いです。汚い話ですみません。漏らしたかと思うくらい肛門が熱くなりました。注入された右腕に始まり一瞬で全身が熱くなり、息を止める指示に従っている間中、ずっと吐き気を堪えていました。
私は下戸なのですが、若い時に何度かお酒の席で断り切れずにノリで飲んだことがあります。そのお店のトイレで個室をひとつ貸り切って盛大に1時間ほど吐いて潰れた経験があるのですが、本当にその時の事を思い出しました。
実際には今回吐いてませんし、すぐに熱は治まったのですが、一気に昔の苦い思い出が蘇るくらい、私には「急性アル中」に近いものを感じました。
無駄に怖がらせてしまっていたら、ごめんなさい。
人によって感じ方が違うと思いますので、参考にならないかもしれません。私はそう思いました、という話なので、あまり「ヤバイ検査らしいよ」みたいな話に捉えないでくださいね。



その日は本当に検査のみ。診察もなくお会計だけしてすぐに帰りました。
びっくりですね。9000円以上しました。
お金ギリでした。
そんなにするなら前もって言って欲しかったです。



そして、昨日10月5日、心臓エコー検査の日。そしてCTの結果が分かる日。心エコー自体は初めてではありませんでした。痛くも痒くもない検査です。先端にジェル状の何かを付けた器具で体の表面をぐりぐりされる検査です。
今回20分以上念入りにグリグリしてもらいました。結構、痛い部分もありました。押し付ける強さなのか、私の皮膚が弱いのか、押し付けられる箇所に痛む原因が潜んでいるのか分かりませんが、ちょっと意外な程痛かったです。完全に気を許していたので、悲しくなりました。
終わってすぐ、「何かまずい所ありましたか」と聞いたのですが、
「いや、あのー、ね、あとで先生にまとめて話をしてもらって、結果を聞いて下さいね」なんてしどろもどろに苦笑いされたもんだから怖くなって、「なにかあるって事なんですね」とついポロっと愚痴をこぼしてしまいました。
そこから30分ほど待って、いざ診察へ。




結果的には、冒頭のような診断だったのですが、何と言いますか。
ひとつの安心をお金で買えたは良いが、不安が全て解消されたわけではない、という中途半端な答えも貰ってしまって嬉しいような嬉しくないような。
もちろん、割と精密に心臓を診てもらい、心臓機能にさしたる問題はない、と言ってもらえたことは嬉しい限りです。
しかし、やはり朝の決まった時間に胸が痛んだ理由や、その後日中に感じた息苦しさや圧迫感の正体は依然突き止められず。
今後もし症状が悪化したり、また朝の痛みがぶり返したりするようであれば、今度は心臓以外の原因を視野に入れて検査しないといけないので、



「その時はまた来てくださいね」



という突き放されよう。
要するに今すぐにはどうすることも出来ないという見解のようです。
今もって朝決まった時間に胸が痛むのであれば、薬による治療を行うはずだったのですが、今は朝痛くない。日中の痛みや息切れに関してはストレスの可能性もあるし、肺という可能もある。何にしろ今心臓に問題がない以上、狭心症としての薬物治療はしません、という事らしいです。
あと単純に、ニトロが効かないとなれば狭心症の可能性が低い、とも言われました。この20日程で、私自身ネットで色々調べ、安静時狭心症の場合ニトロが効きにくいと書かれた記事を目にしていたので、「でも安静時狭心症って、効かないんですよね?」と尋ねると「効きます」と即答されてしまいました。というより、血管を広げる薬なので、動脈硬化であれ痙攣による収縮であれ、血管を広げて痛みが取れるのであれば、心臓周辺の血管に問題あり、という事のようです。効かないのであれば、原因はそこじゃない、という判断のようです。




なんと言いますか、こんな着地の仕方ですみません。
私自身モヤモヤが消えません。
しかし今は、心臓に問題がないことが分かっただけでも良しとしたいと思います。
一週間もすれば、何事もなかったように胸の痛みや息苦しさが消えているかもしれませんし、少し肩の力を抜いて考えてみたいと思います。
このひと月本当にしんどかった。辛かったので。






また、今後も言葉を大切にしながら色々書いていきたいと思います。
では、また。

泣いてばかりもいられない。

前回の記事の続き。
胸痛を感じて病院へ行った結果、問診の段階では「安静時狭心症」疑いであるとのことでした。
次の検査の日が今月26日です。正直それまでただ待っているのがつらいです。ショックです。うすうす予想はしていたのですが、いざお医者さんの口から言われると衝撃度合いが違いますね。
他にも逆流性食道炎や胃酸過多、肋間神経痛なども疑ってみるのですが、やはりそれらには当てはまらない。


第一に、内視鏡を飲んだばかりであること。そして胃は綺麗であり、逆流性食道炎の症状は出ていないと言われたこと。胃酸が多いなどと言われなかったし、もしそうなら症状に出るはずであること。
第二に、15分、20分と痛みが続く症状は他にあまり考えられない事。
第三に、決まった時間に起こる症状である事。もしこれが肋間神経痛などであれば、動いた拍子、体を伸ばした拍子に起こるこどが多く、睡眠時に起こるものではないという事。
第四に、心電図に異常がないという事。心筋梗塞であれば心電図でわかるようです。安定性狭心症でも分かることがあるようです。しかし睡眠時、早朝という決まった時間に起こる症状は心電図では分からないそうです。
第五に、LDLコレステロール(悪玉コレステロール)の数値が高く、狭心症を引き起こしやすい状態であること。
第六に、最近まで喫煙者であったということ。



ここまで条件が揃っていて、何もない事はないと思われます。
次の予定日に心臓CTという検査をするとのことです。
血管に造影剤を流し込んでCTスキャンで写真を撮る、ということらしいですが、自分なりに調べた結果比較的安全で精度の高い結果が得られるとこ事。その検査の結果が分かる後日に、超音波検査をして、両方の結果次第では心臓カテーテルを入れます、という話でした。
他人事でしか聞いた事のなかった「心臓カテーテル」という言葉がまさか自分に向けられて発せられる日が来るなんて。
今は正直溜息しか出ません。
自覚症状は今の所、早朝の胸の痛みなのですが、病院でそんな話を聞いてから今日まで、なんだか日中から胸に圧迫感のような違和感を感じます。
打たれ弱い人間なので気にし過ぎのような気もします。
しかし症状が症状なので、病は気からとばかりにも言ってられません。
一応問診のあと、ニトログリセリンを処方するので、痛みが出た時に服用して下さいとのことでした。
要は、ニトロを舌下に収めて痛みがなくなるのであれば、狭心症確定への第一歩、というわけです。
痛みは消えるが気持ちが沈む。
気持ちは沈むが痛みは消える。
どっちも嫌です。飲みたくないです。
しかし飲まずに酷くなる方がもっと悪いのは分かります。
なので明日の朝飲んでみます。
今から緊張しています。



しかし、病院へ行ったのが7日。次の検査が26日。
ちょっと間が空きすぎやしませんかね。
ほぼほぼ安静時狭心症だと覚悟はしているのですが、そうならそうで治療も早く始めたいと思ってしまいます。約二十日もの間何もせず痛みに耐えておけってのも酷い話だと思いませんか?
日によっては横になっていられないくらい痛む事もあります。
起き上がれば治まるというのもこの病気の特徴と当てはまるのですが、
7時ならまだしも4時とか5時に痛み始めてそのまま起きてなきゃならなくなったら、完全に睡眠不足で余計にストレスが溜まるというものです。
ちなみに処方されたニトロは3錠です。
効くか効かないかを判断するためだけに出されたようなものですよね。
こっちはほぼ毎日痛むんですけどねー。



採血もして帰ってきたのですが、こちらはまだ結果が分かりません。
先日も内視鏡検査をした日に採血をしました。その時に悪玉コレステロールの話をされたのですが、今の所それ以外治療を必要とするような異常はありませんでした。
命を左右する心疾患などは血液検査で直接見つける事はできないのですね。可能性があるよー程度の事は分かるかもしれませんが、現状どの程度やばいですってのは専用の検査をしてみないと分かりません。
実際私は体に症状が出てしまったので、早期発見とは言えないかもしれませんが、健康診断などで気になる数値が出た方は、本気で精密検査してもらうことをオススメします。
今、子供が可愛くて仕方ないのですが、それ以上に辛いです。
心疾患は、死に直結する病です。
私はこれからその病と戦うわけです。
食事、投薬、運動、生活改善。
何が出来るのかまだ分かりませんが、死ぬ気はありません。
とにかく頑張るしかありません。
頑張ります。

良かったばかりも言ってられない。

内視鏡検査の結果は「異状なし」でした。ホントにここ2週間ほどは生きた心地がしませんでした。蓋を開けてみれば、当初可能性として言われていた「良性のポリープ」すら出来ておらず、終わってみれば何で胃カメラ呑んだんだよ、という笑い話になってくれて個人的には最良の結果となりました。
本来ならご報告以上書く事はないのですが、今後健康診断を控えている方や初めて胃カメラ呑むんだよーなんて方がいらっしゃるかもしれないので、私の受けた検査はこんなんでしたよ、というレポートを書いておきます。とても不安でしたし、初めての検査というだけでなんとも心細かったので、何か心構えや参考程度になればと思います。



まず胃カメラを飲む日ですが、健康診断の結果が出て、要再検査(D判定)だったからといって、電話一本で「すぐに胃カメラ入れてくれ」という予約は出来ないようです。結果を見た瞬間からひどく不安で、今すぐにでも検査して欲しい気持ちになると思うのですが、焦っても駄目みたいです。やはり一度診察してもらってから予約、という段取りが一般的みたいですね。バリウム飲んで駄目だったんだから胃カメラ確定なのは間違いないんですけどね。外来受付時間外に検査を行う病院が多いみたいです、朝早くとか、お昼休みとか。人気の病院だと下手すればひと月先まで一杯なんて事もあるようなので、早めに病院へ行きましょう。
でもって予約が無事取れましたと。まず前日夜9時以降の飲食は禁止です。水とお茶は大丈夫です。バリウム検査の時は、2時間前になったら何も飲むな、くらいのキツイ縛りがあったと思いますが、そこまでの事は言われませんでした。
私は心配だったので、水しか飲みませんでした。
当日は予約時間の15分から20分前までには病院へ行き、受付を済ませます。
看護婦さんに呼ばれます。
検査室にて、諸々の麻酔処理などを受けます。これは人によって、または受ける検査法によって違うと思うのですが、私の場合鼻から管を通すパターンだったので、直接鼻から麻酔を吸入しました。鼻から管を通す検査法の利点は、オエッとなりにくい、お医者さんと会話が出来る、などあるようです。特に胃カメラのイメージってとにかくえずく、という嫌な印象が強いので、もし可能なら鼻から入れてもらえる病院を探して受診してみてはいかがでしょうか。私個人の経験ですと、全くオエッとなりませんでした。うちの奥さんの友達の話だと、目から口から鼻から色んな液体が垂れ流しになる、と聞いていたのですが、どこからも何も出ませんでしたよ。
椅子に座って、少し上を向いて、看護婦さんに霧状の麻酔を鼻の穴に何度も噴射されます。
「苦いと思いますので、口の中に垂れて来たらごっくんせずに紙コップに出してくださいね」とコップを渡されたのですが、私全部飲んでしまいました。予想以上に苦いので、本気で飲まないことをお勧めします。吐き出す努力をした方が身のためです。しかしタイミング難しいですね、鼻から入ったものを口で受け止めて出すという作業を産まれてこの方やった事がなかったので。
ただ、苦いだけなら我慢できるのですが、やはりそこは麻酔薬なので、しばらくすると喉に異変を感じてきます。麻酔特有の「ボワーン」と腫れて来るような感覚です。正直この時が一番怖かったです。このまま気道が塞がって呼吸が出来なくなるんじゃないかと人知れずプチパニックを起こしました。「これは麻酔のせいなんだ、実際は何も変化していないはずだ」と自分に言い聞かせて冷静を装いましたが、めちゃくちゃ怖かったです。あとこの時唾を飲み込むのに結構な力を必要とします。飲み込まずに出せばいいだけの話だったのですが。
今思えばですが、鼻に麻酔をかけたはずが、ほとんど喉でその威力を発揮してしまい、はっきり言って鼻にちゃんと効いていたのか分かりません。
何分かそのまま待ちます。
やがて歯医者さんでよく見る診察台に座らされ、横になります。
この時仰向けではなく横向きになれるので、いくらか緊張感は和らぎます。
麻酔の事など既に忘れています。
この日の予約を取るべく診察を受けた日に、「うちは鼻から入れますけど、どうしても入らない場合は口から行いますんで」と言われた瞬間から嫌な予感がしていました。
私はその入らない側の人間なんじゃないか、と。
先生が登場し、「よろしくお願いしまーす」。
誰に言ったのか分からないので無視しました。
早口で、「とりえあえず右の鼻から入れますね駄目だったら左から入れます」と言われて目の前で管になんらかの液体を塗布。滑りをよくするローションだと思われます。先端が光を放ち、「入れます」からの、イタタタタタ!
嫌な予感が的中しました。見た目では分かりにくいのですが、鼻の穴の奥がやはり狭いらしく、直径4.9mmしかない筈の細い管ですら容易には入らないようです。
頭の中でミシミシ、と音がします。「おあ、裂けるかもしれない」と恐怖に駆られます。痛いです、無理です、と弱音を吐いたのですが、「もう少し、ここが一番狭い所」と言って取り合ってくれません。「…いけます?」と尋ねられてからの、本日MAXの痛み。「無理です!ああ…」と少し感情をこめて訴えましたが、「左を試してもいいけど、左も同じように痛いかもしれないよ?今からやり直す?」と無常に聞き返され、「…このままいきます」と心が折れた返事をしました。もうどうにでもしてくれ。とりあえず私の胃はどうなんでしょうか?
「はい、入りました。ここから色々見ていきますね」
空気を入れられているらしく膨満感があったり、恐らく先端が胃の内部に当たるからだと思いますがチクチクする感触が少しはありましたが、基本的には無痛でした。
私のように鼻の奥が狭い人は辛いかもしれませんが、そうでない人は、最初から最後まで全く痛くもなく、嗚咽する事もなく検査を終える事が出来るかもしれません。あるいは先生の腕が良かったのかもしれません。
内部をくまなく見てもらうのに、結構アクロバティックに管を操る先生のお腹を見ながら、いつ鼻が裂けるかヒヤヒヤしていましたが、「この先。この先にポリープがあるはずなんですよ、検査結果ではねー。…ないですね、何もない。キレいなもんです」とのお言葉に心底ほっとしました。
もし何か見つかるとしたらこの場面です。
鼻から管を通した場合普通に話が出来るので、気になる事をその場で尋ねたい方にもこの検査法はオススメです。
開始前に看護婦さんから、「唾をごっくんするとオエってなるから全部垂れ流して下さいね」、とガーゼをあてがわれましたが、痛みと戦っていたせいか全く気にならず(あらかじめ口で呼吸するよう気遣ってはいましたが)、飲み込むまでもなく、垂れ流すまでもなく終了し、最後にほっぺの内側に溜まった唾液をプイッと吐き出す程度で済みました。
検査中ずっと看護婦さんが肩から背中にかけてを擦って下さっていました。
よっぽど強張っていたのだと思います。まあ、力を入れるなと言われても無理な話なのですが、私の場合は、擦る力や速さが変化すると「ああ、今すごい強張ってたなー」と自覚できる程度の余裕はありました。鼻の痛みにさえ耐えられれば、中を診てもらっている最中は痛みも不快感もありませんでした。
最後にゆっくり抜いて終わりなのですが、やはり最後の最後、抜き終わる瞬間は少し痛かったですが可愛いもんでした。
検査はこれで終了です。
所要時間は15分程だと思います。
あとは口の中をグチュグチュベーして、鼻をかまないでくださいとか1時間は飲食を控えて下さいなどの注意を受けたのち、改めて先生からの結果報告。
私の場合は懸念されたポリープもなく、胃の内部も綺麗ですと仰っていただき、当初考えていたピロリ菌の検査もしませんよとのお達しで、めでたくお会計へ。


と、なるべく細かく流れを書いてみました。
もしどなたかの参考にでもなれば幸いです。



検査を受ける前の日は本当に夜も眠れない程不安でした。
子共が生まれて間もないですし、一年半ほど前にきついギックリ腰で入院を余儀なくされたおかげで、先日カンポの学資保険審査に落ちてしまいました。
そんな事もあって、また自分の体に何かあれば、我が家はどうやって食べて行けばいいのか、どうやって子供のための貯蓄をして行けば良いのか、そもそも自分はあとどのくらい生きられるのか…。本当に色々考えましたし、今まさに、そういった悩みを抱えて辛い日々を過ごされている方もきっと大勢いらっしゃると思います。
失いそうになって初めて健康のありがたさが分かります。
本当に辛いことです。
人間いつ病気になるか分かりません。私ももう若くはありませんが、仕事にかまけて運動などもしていません。現時点でも禁煙継続中ですが、そろそろ風呂上がりのストレッチ程度ではメンテナンスし切れない体になってきました。
今の時点で私の胃は何事もないようです。
しかし良かったとばかりも言っていられないのです。
ここ数日の話なのですが、胃カメラの予約を取りに病院を訪れた時にはその話をした記憶があるので少なくとも2週間程。
ほぼ毎朝、目覚めると胸の真ん中を中心として胸全体が、酷く痛むようになりました。
息を吸っても吐いても、寝返りを打っても打たなくても、ただひたすら痛い。
「あー、イタタタタタ…。ッスー…ウー…、タタタタ…」
と小さく声がでるレベルです。
痛くて目が覚めているのかは分からいのですが、携帯のアラームが鳴り始めるより前には起きてしまいます。
もちろん眠たいのでそのまま頑張って寝ようとはするのですが、無理です。
10分から20分程ウンウンゴロゴロとのたうった後、やっぱり無理だと体を起こします。
すると不思議な事に、起床して10分もすれば、じわじわと痛みが引いて、やがて何事もなかったかのように治ってしまいます。
もちろん、起きてすぐ水を飲んだり朝食を食べたりした瞬間はまだ痛みが残っていたりするのですが、それでも午前中ずっと痛いとか、一度引いた痛みが戻ってくる事もありません。
今の所は起床時だけに限った痛みですが、その内真夜中に激痛で飛び起きるのではなかろうかと思うと怖いです。あるいは仕事中に痛みが戻って来るとか。基本的に怖がりなもので、一旦不安に思い始めると、それまで感じて無かった胸苦しさまで感じるようになり、呼吸まで浅くなってきます。
大抵の病気は横なって寝て治すものだと思いますが、横になると痛み始めるなんて辛すぎます。
胸痛というものらしいですが、原因となる病の可能性が多すぎて素人判断もできません。
なので明日またもや病院へ行こうと思っています。
台風も来ていますし、天気が悪いと腰が痛いのでそれもまた辛いのですが、背に腹は代えられません。
先日の胃カメラは、バリウム検査に引っかかったという理由での再検査であり、自覚症状などは胃に限っては全くありませんでした。
しかし今回は毎朝辛い痛みに悩まされた上での診療になります。
正直、圧倒的に今回の方が怖いです。
内視鏡検査の結果としては、胃も、食道も綺麗であり、逆流性食道炎の疑いはないとの所見が出ました。とすると痛みの原因が肺なのか心臓なのか、筋肉なのか、神経なのか、全く分かりませんがそのどれであっても大変な病気の可能性を孕んでいます。



明日病院へ行っても症状をお話する程度で、今後精密検査をするとしても予約を入れるだけして帰されると思います。
何度か通う事になると思いますが、今度も、なんともなかったですと書き残せるよう今から震えて祈っています。

その怖さに意味はあるのかい?

他人のイロコイ沙汰など心底どうでも良いのですが、今回ネットニュースで連日流れる有吉さんと夏目アナの報道はなんであんなに怖いんですかね。
熱愛報道が出て「っほー!」「やっぱりそうなんだー!」
当人たちが口を閉ざし「…ん?」
事務所が全否定して「えー!?」
当人たちが事実無根、狐につままれたよう、と発言して「まじでかー!?」
しかしスポニチだけは揺るがず「妊娠してます。年内結婚するでしょう」
またしても当人側「訴えてやる!」
ここへ来て夏目アナの事務所が激怒、有吉さんを潰したい、とか。
もうね、意味が分からない。何このニュース。どうでもいいけど怖い。
この2人が熱愛・妊娠してたら何がまずいのよ。良い大人が好きでくっつくんだから祝ってあげればいいだけの話じゃないか。仕事に穴を開けるというならとりあえずそこは迷惑をかけるであろう周囲の方達に頭を下げて、新たなスターを生み出せるチャンスとばかりに新進気鋭の美人女子アナを大抜擢してあげれば良いのに。
何が怖いってあの長谷川豊さんをして「このカップルは駄目でしょうね。別れさせられるでしょう」と言わしめる芸能界の「ドンルール」。
馬鹿かと。随分器のちっちぇードンがいたもんですなー。
特にお二人のファンというわけではないのですが、もし、本当に夏目アナが妊娠しているのだとしたら赤ちゃんが可哀想です。ドンを怒らせたとかそんな漫画みたいな理由で破局、堕胎、なんて話になるんだとしたら命をなんだと思ってんだって話ですよね。
まあ、全部スポニチの作り話でした、というオチなら良いのですが。
全然噛み合わない報道のされ方がとにかく気持ち悪いです。




とここでいきなり個人的な話ですが明日胃カメラ呑みます。
正直心がガタガタと震えております。
色々考えてしまって、不安だけが募ります。
健康診断のバリウム検査に引っかかった、というよくある再検査話なのですが、実際考え出すと可能性ばかりに気を取られて、今、恐怖心と不安で胃に穴が開きそうです。
結果もここにきちんと書き残します。
何事もありませんように。

さては批判するの好きだな。(追記しました)

一言目に「オマエモナー」と返されそうな記事タイトルを付けてしまいました。吐いた唾飲まんとけよ、は常々モットーにしているので自分の言った言葉には責任を持ちたいですし、もし間違った事を言ったならきちんと頭を下げる覚悟はあります。
今世間では色んな事柄に対して議論が成されているのですが、気になったのは時期的に炎上マーケティング臭もするのですが「24時間テレビ」について。
誰かさんが「感動ポルノ」だと言い放ち、誰かさんは「障碍者×感動の方程式はいかがなものか」と投げかける。
似たような話を以前ここでもした記憶があります。
確か震災時における義援金、ボランティアについて、ブログで発表した方に批判が殺到した話でした。今回とは題材が違うのですが私としてはなんだか似ているなあと思えてきます。
私はただの一般庶民であり、TV製作に関わったことなど一度もないので、毎年行われている24時間テレビの意図がチャリティーなのだと信じて疑いません。
ですので、テレビを見て募金する人が増えれば、それで目的は達せられるわけです。ではどうすれば募金する人が増えるか考えた時に制作する側が出した回答が、連綿と続く例の内容なわけです。
そこに異議申し立てをする人、批判をする人は、果たして何が目的なのでしょうか。
「健常者目線で障害者を哀れみ、上から目線で可哀想ぶって募金するなんて不快だ、非人道的だ!」
という話でしょうか。確かに、そればっかりの内容ではないと思いますが、そういう面もあります。そこに不快感を示す気持ちもなんとなく分かりますし、実際私も見てはいません。
しかし、全国には実際に募金している人達がいるわけです。
その人達の慈善の前ではどんな言葉も無意味でしかないと思います。
目的がチャリティーであり募金活動である限り、番組を見た視聴者や賛同者がどれだけ実際に動いてくれるかが全てなのです。
感動ポルノだと言われても、今更それを言いますか、というのが私の正直な気持ちです。この時期にいきなりそれを持ち出すのは卑怯だよ、炎上目的だろ?と思ってしまいます。
一方的に善意を押し付けるだけの行為で良い気になるなよ、と思っている障害者の方もさぞ多いことでしょう。
だけどそれを表だって声に出してこなかったのは、そういった募金活動で集まったお金で実際身の周りの生活が少しは楽になったり、行動しやすくなったりというなにがしかの恩恵を感じているからではないのでしょうか。
身体にハンディを背負っていると、日常生活が重労働です。
親戚に重度の障碍者がいたのでそこは分かります。
テレビ番組で放送するという事は、そういう状況を世間一般の人達に知ってもらう機会だとも言えますし、チャリティーの事など全く考えもせずただひたすらに毎日を精一杯生きている人達だって当然います。
どこを切り取ってテレビ番組として仕上げるかで、作り手の品が問われる事も確かですが、一概に、何が良くて何がダメでと判断出来るものではありませんし、その判断は24時間テレビに限らず視聴者の好き嫌いでしかなく、嫌なら見るなで答えが出ます。そこには人々の思いがあって、見て欲しい知ってほしいと切に願う人がいる限り、その誰かにとっては必要な番組であり続けるのです。
一番確かなのは、24時間テレビで毎年多くのお金が集まる、という事実です。
そこを無視して文句を言う人は、代案を出せ。
今まで以上にお金が集まるシステムを考えろ。
批判だけするな。
と、私なんかは思うわけです。
既にネット上に、誰かさんのコメントが出ていたのですが、「パラリンピックを放送すればいい」という案は素晴らしいですね。全くもってその通りです。
誰かの為でなく自分の為に、そしてそんな人達を支える家族や仲間のドキュメントが、他人の手が入らないライブ映像で見る事が出来るなら他には何も必要ないと思います。
あとは募金箱を置いてる全部の集会所に芸人やスターを立たせて握手とかしてもらえたら、完璧ですね。<9月2日追記。>

同じテーマで似たような記事を書くのもどうかと思ったので加筆します。
世間では面白い考え方をする人達がいて、「まじでか」と気になったので書きたくなったのですが、24時間テレビについて議論される内容の一つに、出演者や作り手側のギャラ問題があるようです。


「チャリティー、募金活動と謳うわりにお金貰ってんのおかしくね?」


といった内容のクレームをよく見かけるのですが、これ真面目に言ってるんですかね。割と大勢の人達がこういう言葉を書き残しているので驚きです。ネットの書き込みなんかにいちいち反応するなと言われればそれまでなのですが、普通は思ってもみないことを書いたりしないし自分と違う意見に面白がって乗っかる意味はないので、結構同じ事を思ってる人が大勢いるのかな、と。私、ピュア過ぎますかね?
あと、「公共放送なので嫌なら見るな」は通じないぞ、と言う人もいますが、それはTV局の制作に対する姿勢や考え方をなんとかして変えてやりたいという強い意志があるなら、投書なりクレームなりをバンバン入れて震え上がらせてやればいいと思いますよ。このご時世それはかなり効くやり方でしょうし。ただスポンサーあってのテレビ制作現場において一番手っ取り早い抗議が、視聴率を落とす=見ない、という事なので。嫌なら見るな、ってのはそういう意味ですよ、分かってない人がいるようなので補足しておきます。その時間帯当たり1局しかチャンネルがないとか選べないならまだしも、文句言ってる人に限って本来は「ネットしてる方が楽しい!」と思ってるんでしょう?
ギャランティの話に戻りますが、何度も言うように、一番の目的は「募金を集める事」です。
そして、「募金を集める為に色々工夫して視聴者を納得させてお金を持ってこさせたいTVショー」です。言葉は悪いですが、TVショーです。
ギャラ批判する人はそこを勘違いしているんです。
24時間テレビに関わる人が全て無償で働かなければいけない根拠などありません。何故なら目的を持ったTVショーだからです。そのテーマが「皆募金してくれよな」というだけの話で、「ノーギャラで番組を作るから皆見てね」というテーマではないのです。
仮に「私の今回の出演料、全部寄付します!」というタレントさんがいたとします。その気持ちに感銘を受けた視聴者が募金に走ったとします。その裏で実はそのタレントもしっかりギャラを受け取っていた。という事が発覚したなら、その人は責められてしかるべきだと思います。しかし、あれだけ大掛かりな番組を作るにあたって、当日以外にも膨大な時間を拘束されたスタッフや寝ずに頑張る出演者たちがお金を受け取ってなにが悪いのでしょうか。
特にタレント達は自分の個性と時間を切り売りする商品です。TVショーの中で役を与えられて演じるキャラクターです。
そら、お金取るでしょうよ。商品価値としての対価だもの。
先ほどの嫌なら見るなに似ていますが、そこが納得できないならどうぞ募金しないでください、という話です。誰も強制・強要しているわけではないのだから。
そんな当たり前の筋道を見失って、何か問題提起でもしているかのように偉そうな口調で書き残していくような人達は、一体自分が何を言っているのかもう一度ちゃんと考えてから発言してみてはどうでしょうか。
と、偉そうに思った次第であります。



念のために言いますが、私個人にクレームが来たわけではありません。
なんでこんなに「わたし怒ってます」みたいな記事になったか自分でもわかりません。
ご心配なさりませぬよう、適当に読んで下さいね。