本気より本音が勝つとそうなる。

なんとなく周りにもこういう人いるなー。



ブログが更新されたので読んでいて思いました。長谷川豊さんのブログ、「本気論 本音論」。情弱な私にはためになる勉強の場でもあったし、物事を考える切っ掛けや素材を戴いていたネタ帳でもありました。
ふとした時に何度か思ってはいたのですが、ここ最近の問題発言を経てからこっち、確信に近い思いを抱いております。




「この人怒られるの相当嫌なんだな」




と。もしくは、怒られ慣れしていないか、極端な自信家もしくは自尊心が強い。とてもプライドが高くておまけに鼻っ柱も強い。
悪口のように聞こえたらすみません。そのように見えます、思います、という感想でしかありません、念の為。
というのも、今回更新されたブログの記事一つだけ見ても、随所にそういった氏の性格が滲み出ている箇所が見受けられました。
そういう人が私の周りにもいて、時に迷惑だったりするので残念な気持ちに苛まれつつこれを書いています。
まず、今回書かれた10月18日付の記事は『御免で住めば警察はいらない』。僕はいつか、透析患者を減らせるように腎移植を推進する働きかけをしていこうと思う。」というタイトルなのですが…。
許可なく引用しておりますので注意を受ければ消しますが、これコピペです。「御免で住めば」というのは「済めば」と書こうとした誤字だと思いますがそんなことはどうでも良くて、「なんでそう、敢えて他者を煽って自分の首を絞める物言いをしたがるのかな」、というのが反射的に出た私の第一印象です。
あるいは誰かにそう言われたのかもしれませんが、だとしたらもっと酷いし言葉のチョイスのセンスがない。
長谷川さんはご自身のブログ内で、既に謝罪の記事を書かれています。
それなのに、「御免で済めば〜」とはなんなのか。
敢えて良い捉え方をすれば、言葉だけでなく色々考えて行動にも移していきますよ、と言いたいのだとしても、この皮肉ったタイトルは真摯とは言えません。
己の否を認める、反省する、というのは言葉だけでなくもちろん態度や行動にも求められます。
しかし今回の記事を冒頭から読んでいて出て来るのは、他所のブログ記事から文章を無断引用した事へのお詫びをしてきたとか、長谷川さんに物申す!というスタンスの方と直接会ってお話してきた、だの何が言いたいのかわからない日常報告の中に紛れた「言葉だけのお詫び」。

この人本当にお詫びしたいと思ってんのかなーと首を捻ったのが、以前よりちょくちょく出て来ていた「法的本拠」や「私はちゃんと現場を取材していますよ(キリッ)」という外堀を埋めるような作為的な文章。今回もバッチリ書いてます。自己防衛をしているようで、要らないなと感じます。少なくとも、反省真っ只中だと宣言するなら一切の保身は感じさせちゃいけないでしょう。
そして何より、一回転するんじゃないかなというくらい首を捻ったのが、「それでも私は間違っていない」アピールを書いちゃってる事です。



今回、長谷川さんが騒動に発展した記事で取り扱っている題材は、日本における医療問題とお金の話です。決して個人レベルで解決できる話ではありませんが、それでも国民一人一人が「明日は我が身」と関心を寄せて考えていく事は大切だと思います。
そういった切っ掛けを広く読者に与えるべく書かれた記事だと私は思いたいですし、必死で考えた「本気」よりも、言いたい事の「本音」が気持ちで上回ってしまった結果起きた事故だと思いたいです。
長谷川さんも一人の人間ですから、腹が立てば怒ります。
人工透析とお金について考えた時、彼なりに許せない部分や腹の立つ部分があったのでしょうね。そしてそれを「こんな問題がありますが、皆さんどうしたものでしょうかねー?」と言えば良かった場面で、「死ねー」と言っちゃった。
ごくごく簡単に言えばこういう話です。
そこで長谷川さんは考えた。



「死ね」という言葉を使ったのは間違った。一旦そこは謝ろう。でも、考え方は、間違ってないよね?



これでは、反省してます謝罪したいですと言った所で誰が信用するんだ?



「お詫びするっつってもあれよ、ちょっと表現が拙かったかなー、勘違いしちゃった人もいたかもなー、くらいの事よ? 結局俺の言ってること、間違ってねーし!」



と言われた気分です。
そもそも、今回の記事より前に書かれたお詫びの文章内においても、言葉遣いが不適切だった、自身に落ち度がないのに透析治療を行っている患者さんも傷つけてしまった、一方的だった、と反省点を述べれおられますが、見方を変えれば「自業自得の奴は自分でなんとかしろ、出来ないなら死んでね」という考え方には触れず撤回もしていません。
ちょっと怖いなとすら思ったのは、例の記事を受けて、現在治療を受けている患者さんにいらぬ偏見を植え付け、下らない誹謗中傷を誘う可能性のある内容だった〜という部分。
そんなこと誰も思わないよ!
皆びっくりしてるのは、そこじゃあないから。
長谷川さん自身の人間性にびっくりしてんだから。



とまあ、ほんとに反省してるんだか、何を反省してるんだか、何にお詫びしたいんだか分からなくなってくる次第です。
他者を傷つけて、なにか自分に落ち度があったら、素直に謝る。
ただ素直に謝る。それが謝罪。
そこに、「いや、でもね」とか「ただ分かってもらいたいのは」とか言い訳だの独自の解釈だの無駄にくっ付けてくる人は心底悪いとは絶対思ってないね。
悪いと思えば素直に謝りますよあたしゃーね。
というスタンスを言葉で念押ししてくる人程、本気で謝りはしないね。
これはもう社会人あるあるですよね。
長谷川さんはまさにそんな人、のように私の目には映りました。




果ては最終的に人工透析とお金の話から腎移植の話題へスライドして行きます。日本ではまだまだ腎移植が進められていないそうです。世界的には人工透析は腎移植までのつなぎの治療である場合が多い、んだそうです。
長谷川さんもいつか腎移植の推進に助力していきたいそうですよ。



え? なんの話してんの?



うーんやっぱり腹立つなー。
あれだけ意気揚々と、取材結果や過去の例や統計やデータ諸々を用いて、自業自得の人工透析患者や年金システムや保険料の話に鋭く切り込んでいたのに、そっちやめて移植手術の話に移行するってどうなんだよ。と。
一方で「お詫びしたい」(言葉のチョイスに対しては)
一方で「考え方は間違っていない」(データと取材は嘘つかないし)
一方で「でもその話続けると面倒だし移植の話していこーか」(面倒だしね)




おいーーーーーー。
実際どういう了見なのかは知りませんが、簡単に誤解を招くような発言ばっかするってどうなんでしょうか、フリーアナウンサー様。
私の周りにもいますよ。
謝ると見せかけて言い訳してくる人。
謝った次の瞬間にはもう違う話題を仕掛けてくる人。
どんだけ忍耐力ないんだろうってびっくりします。
他人と考え方が違うだけで、私の出した答えに間違いなどあるはずもない。と頭から信じ切っている人種なのでしょうね。
でなければ、謝罪した返す刀で人を切るような真似は出来ません。





長谷川豊さんの「今本当に伝えないこと」って一体どこにあるんでしょうか。




※追記

今回の記事はどうしたって長谷川氏のブログを読んでいないと意味が分からない内容になってしまいました。
ステマとかそんな気は一切ないですし、何度も言うように自分の子供に読ませたい思いで書いているにも関わらず、何年後かに氏のブログが残っているか分からない上でこのような書き方になってしまった事を反省しています。しかし、何かのご縁ですし、今回私の記事を読んでくださった方にはぜひ一度長谷川豊氏のブログを実際に読んでいただきたいな、とも思います。ステマではないですよ。