ちょっと行きたくはないぞ今年のUSJ。

USJで開催中のホラーアトラクションで展示されている日本人形にまつわる抗議の話。
日本人形協会が「供養のために奉納された人形が違う目的で使用されている」「日本人形を恐怖の対象として扱うのは営業妨害」と抗議した、らしいのですがちょっと待って。分からない事を事前に整理しましょうか。

まず、供養の為に奉納されたとされる日本人形は、奉納先である和歌山県淡嶋神社の持ち物なのでしょうか。
法律的な事は分かりませんでしたが、奉納というのは自分にとって価値のあるものを供物として仏に捧げる事、またはその行為自体を指すらしく、では供物とは何かというと、供養目的達成のために信仰対象に捧げるもの、のことを言うようです。
というとは、和歌山県淡嶋神社に奉納された人形は、供養のために元の人形所有者が「よろしく頼んます」と言って神社に置いて帰った。手放した、という事だと思われます。「なんか変な感じがするので、お祓いしといてね、また取りに来るから」という事であれば、それは奉納とは呼べず、所有権も移らないと思います。
という事はですよ、やはりUSJに貸し出された人形は、和歌山県淡嶋神社のものだということになります。
しかし今回抗議しているのは、日本人形協会
これがややこしい。
和歌山県淡嶋神社側が、「言ってた事と違うじゃないか」と、違う目的で使用しないで欲しいというクレームを入れるなら正当な理由になると思うのですが、関係ない団体が言ってるからUSJ側も「何言ってんだオマエ」という態度に出たわけですね。
最初にこのニュースを見た時。てっきり和歌山県淡嶋神社が抗議しているのだと思い、うわー、USJやらかしたなーと思ったのですが、違ったようです。
ただですね、USJ側の回答にあるように「法的根拠がないから」と言われてもなんとなくスッキリしない気持ちが残るのも確かです。
まず、その展示されている人形が実際に奉納された供物であるということ。
そもそも本物を使う意味があるのかな?
作るより借りる方が経費削減、という事なのだと思いますが、本物なんて単純に不気味過ぎて引く。そのリアリティに余計テンションが上がるぅー!という浮ついた発想が私にはもうない。
だって、奉納した人の気持ちはどうなんだ、と。
「長年愛してきたけども、そろそろ手放したいが捨てるのは可哀想だし、仲間が一杯いるこの神社に納めようか」という前向きな思いと愛情で奉納した元の持ち主が、USJで見世物にされてワーキャー言われてると知って不愉快になるとは思わなかったのだろうか? そして実際に元の持ち主は嫌な気持ちになっていないのだろうか?
それとも和歌山県淡嶋神社に奉納された人形はすべからく呪われている、元の持ち主から恐れられ捨てられた人形達なのでしょうか?
そうならそうでめちゃくちゃ怖い。
日本人形を純粋に愛玩人形として捉えられている人達やそれを商売ににしている人達にしてみれば、やはり営業妨害と言わざるを得ないでしょね。

ダウンタウンの松本さんが「怖いもんは怖い。日本人形の新しい用途」と仰られたように、私も先ほど愛玩人形として捉えられている人達、というややこしい表現を用いましたが、私にとっても日本人形は怖い物という固定観念があります。やはりと言って適切か分かりませんが、「日本人形」と打ってグーグルで画像検索をかけると、明るいイメージの写真はほぼ出てきません。それが一般的なイメージとまでは言いませんが、どこか謂れの判然としないホラー要素が付き纏っている事も事実だと思います。
そんな向かい風の中、ネットではなくUSJという現実の世界で、リアルな恐怖対象として展示するというのは、業界を揺るがす大打撃になると判断したのだろうなという気はします。
これまでも、髪の毛の伸びる人形とか、勝手に動くからくり人形とか、昔から怖いイメージはありましたから、ダメ押しのように若者のエンターテイメントに組み込まれるのは我慢がならなかったのでしょうね。
ただ、奉納した元の持ち主の気持ちを考慮して、今後は本物を使うことはしません、全部こちらで作り直します、という事になることはあっても、一旦世間に話題として出てしまった以上、イメージ回復は絶望的でしょう。
というわけで、一番良いのは和歌山県淡嶋神社さん側には「今年限りで結構です」と断りを入れ、来年からは日本人形協会に協力を依頼してそれこそ恐ろしいほどの数の日本人形を製作すれば良いのです。
「営業妨害だ」という発言をした以上、愛玩より商売道具だという気持ちの方が強いのでしょうし。
背に腹は代えられぬ。
これぞwin/winの関係と言えます。めでたし。