さては批判するの好きだな。(追記しました)

一言目に「オマエモナー」と返されそうな記事タイトルを付けてしまいました。吐いた唾飲まんとけよ、は常々モットーにしているので自分の言った言葉には責任を持ちたいですし、もし間違った事を言ったならきちんと頭を下げる覚悟はあります。
今世間では色んな事柄に対して議論が成されているのですが、気になったのは時期的に炎上マーケティング臭もするのですが「24時間テレビ」について。
誰かさんが「感動ポルノ」だと言い放ち、誰かさんは「障碍者×感動の方程式はいかがなものか」と投げかける。
似たような話を以前ここでもした記憶があります。
確か震災時における義援金、ボランティアについて、ブログで発表した方に批判が殺到した話でした。今回とは題材が違うのですが私としてはなんだか似ているなあと思えてきます。
私はただの一般庶民であり、TV製作に関わったことなど一度もないので、毎年行われている24時間テレビの意図がチャリティーなのだと信じて疑いません。
ですので、テレビを見て募金する人が増えれば、それで目的は達せられるわけです。ではどうすれば募金する人が増えるか考えた時に制作する側が出した回答が、連綿と続く例の内容なわけです。
そこに異議申し立てをする人、批判をする人は、果たして何が目的なのでしょうか。
「健常者目線で障害者を哀れみ、上から目線で可哀想ぶって募金するなんて不快だ、非人道的だ!」
という話でしょうか。確かに、そればっかりの内容ではないと思いますが、そういう面もあります。そこに不快感を示す気持ちもなんとなく分かりますし、実際私も見てはいません。
しかし、全国には実際に募金している人達がいるわけです。
その人達の慈善の前ではどんな言葉も無意味でしかないと思います。
目的がチャリティーであり募金活動である限り、番組を見た視聴者や賛同者がどれだけ実際に動いてくれるかが全てなのです。
感動ポルノだと言われても、今更それを言いますか、というのが私の正直な気持ちです。この時期にいきなりそれを持ち出すのは卑怯だよ、炎上目的だろ?と思ってしまいます。
一方的に善意を押し付けるだけの行為で良い気になるなよ、と思っている障害者の方もさぞ多いことでしょう。
だけどそれを表だって声に出してこなかったのは、そういった募金活動で集まったお金で実際身の周りの生活が少しは楽になったり、行動しやすくなったりというなにがしかの恩恵を感じているからではないのでしょうか。
身体にハンディを背負っていると、日常生活が重労働です。
親戚に重度の障碍者がいたのでそこは分かります。
テレビ番組で放送するという事は、そういう状況を世間一般の人達に知ってもらう機会だとも言えますし、チャリティーの事など全く考えもせずただひたすらに毎日を精一杯生きている人達だって当然います。
どこを切り取ってテレビ番組として仕上げるかで、作り手の品が問われる事も確かですが、一概に、何が良くて何がダメでと判断出来るものではありませんし、その判断は24時間テレビに限らず視聴者の好き嫌いでしかなく、嫌なら見るなで答えが出ます。そこには人々の思いがあって、見て欲しい知ってほしいと切に願う人がいる限り、その誰かにとっては必要な番組であり続けるのです。
一番確かなのは、24時間テレビで毎年多くのお金が集まる、という事実です。
そこを無視して文句を言う人は、代案を出せ。
今まで以上にお金が集まるシステムを考えろ。
批判だけするな。
と、私なんかは思うわけです。
既にネット上に、誰かさんのコメントが出ていたのですが、「パラリンピックを放送すればいい」という案は素晴らしいですね。全くもってその通りです。
誰かの為でなく自分の為に、そしてそんな人達を支える家族や仲間のドキュメントが、他人の手が入らないライブ映像で見る事が出来るなら他には何も必要ないと思います。
あとは募金箱を置いてる全部の集会所に芸人やスターを立たせて握手とかしてもらえたら、完璧ですね。<9月2日追記。>

同じテーマで似たような記事を書くのもどうかと思ったので加筆します。
世間では面白い考え方をする人達がいて、「まじでか」と気になったので書きたくなったのですが、24時間テレビについて議論される内容の一つに、出演者や作り手側のギャラ問題があるようです。


「チャリティー、募金活動と謳うわりにお金貰ってんのおかしくね?」


といった内容のクレームをよく見かけるのですが、これ真面目に言ってるんですかね。割と大勢の人達がこういう言葉を書き残しているので驚きです。ネットの書き込みなんかにいちいち反応するなと言われればそれまでなのですが、普通は思ってもみないことを書いたりしないし自分と違う意見に面白がって乗っかる意味はないので、結構同じ事を思ってる人が大勢いるのかな、と。私、ピュア過ぎますかね?
あと、「公共放送なので嫌なら見るな」は通じないぞ、と言う人もいますが、それはTV局の制作に対する姿勢や考え方をなんとかして変えてやりたいという強い意志があるなら、投書なりクレームなりをバンバン入れて震え上がらせてやればいいと思いますよ。このご時世それはかなり効くやり方でしょうし。ただスポンサーあってのテレビ制作現場において一番手っ取り早い抗議が、視聴率を落とす=見ない、という事なので。嫌なら見るな、ってのはそういう意味ですよ、分かってない人がいるようなので補足しておきます。その時間帯当たり1局しかチャンネルがないとか選べないならまだしも、文句言ってる人に限って本来は「ネットしてる方が楽しい!」と思ってるんでしょう?
ギャランティの話に戻りますが、何度も言うように、一番の目的は「募金を集める事」です。
そして、「募金を集める為に色々工夫して視聴者を納得させてお金を持ってこさせたいTVショー」です。言葉は悪いですが、TVショーです。
ギャラ批判する人はそこを勘違いしているんです。
24時間テレビに関わる人が全て無償で働かなければいけない根拠などありません。何故なら目的を持ったTVショーだからです。そのテーマが「皆募金してくれよな」というだけの話で、「ノーギャラで番組を作るから皆見てね」というテーマではないのです。
仮に「私の今回の出演料、全部寄付します!」というタレントさんがいたとします。その気持ちに感銘を受けた視聴者が募金に走ったとします。その裏で実はそのタレントもしっかりギャラを受け取っていた。という事が発覚したなら、その人は責められてしかるべきだと思います。しかし、あれだけ大掛かりな番組を作るにあたって、当日以外にも膨大な時間を拘束されたスタッフや寝ずに頑張る出演者たちがお金を受け取ってなにが悪いのでしょうか。
特にタレント達は自分の個性と時間を切り売りする商品です。TVショーの中で役を与えられて演じるキャラクターです。
そら、お金取るでしょうよ。商品価値としての対価だもの。
先ほどの嫌なら見るなに似ていますが、そこが納得できないならどうぞ募金しないでください、という話です。誰も強制・強要しているわけではないのだから。
そんな当たり前の筋道を見失って、何か問題提起でもしているかのように偉そうな口調で書き残していくような人達は、一体自分が何を言っているのかもう一度ちゃんと考えてから発言してみてはどうでしょうか。
と、偉そうに思った次第であります。



念のために言いますが、私個人にクレームが来たわけではありません。
なんでこんなに「わたし怒ってます」みたいな記事になったか自分でもわかりません。
ご心配なさりませぬよう、適当に読んで下さいね。