思い出というものは。

桂歌丸さんが亡くなられました。
TV番組である笑点には50年以上の歴史がある為、今を生きる様々な年代の人が「世代」を感じている事と思います。
歌丸さんが亡くなられた事で今しみじみと感じるのが、「良い時代だったな」という事です。


これは何も私が見ていた時代が良かったという自慢ではありません。
というのも、きっと、笑点を見ていた時間の記憶は、よっぽどの事でもない限り、誰にとっても幸せな思い出として残っているのではないかなと、思うわけです。


私が例外なのかもしれませんが、笑点を主に見ていたのは子供時代です。
それも自分からチャンネルを回した(古い)わけではなく、親の強制ですよね。
日曜日の夕方、うちは夕ご飯が早い家庭だったので、笑点を見ながら家族で食べていたのを思い出します。


司会は先代・五代目圓楽さん。小遊三さん、好楽さん、歌丸さん、木久蔵さん、楽太郎さん、こん平さんというメンバーだったように思います。
もちろん子供でしたから、大喜利よりも若手芸人の漫才を好んでおり、笑点自体特別好きだったわけではありません。
今でこそ理解していますが、当時は大喜利のなんたるかも分かっておらず、笑いどころをスルーしていました。
ただ、木久蔵ラーメンや、チャンラーンや、ずうとるびや、腹黒や、馬面といった個性的なフレーズの飛び交う幸せなテレビ画面の映像は、今もしっかりと脳裏に焼き付いて残っています。
座布団が飛び交う日もありましたね。
山田君がおこって座布団を引っこ抜き、倒れそうになる楽太郎さんがいましたね。
好楽さんてちょっと滑り芸でしたよね。
こんぺいさん、叫んでましたね。
木久蔵さんは、…ラーメンの宣伝してましたね。
小遊三さんは飄々として、安定感ありましたよね。
楽太郎さんと歌丸さん、とっても楽しそうに喧嘩してましたよね。
目を細めてそれを見ていた圓楽師匠の笑顔が素敵でした。


良い時代だったんだなと、改めて思います。
まだテレビが楽しい時代で、楽しいと思える年代に見ていた番組は、大袈裟な言い方ですが、一生忘れないのだと思います。




「一家団欒とかけまして、新たなる旅立ちとときます」


「ほお、その心は」


「そろそろショウテンのお時間でございます。おあとがよろしいようで」




楽しいひと時をありがとうございました。
桂歌丸さんのご冥福を心からお祈りいたします。