宗教って、なにかね。(2月18日、追記)

全く持って怖い話だ、と個人的には思っています。



今世間を騒がせている清水富美加さんの出家騒動の一番怖い所は、もし公に出た彼女のメッセージが直筆で彼女自身の言葉であると仮定するならば、矛盾だらけだという事。そしてそこから察するに、あと何年後かにいきなり出て来て「あの時私はおかしかった」なんて言い出しかねない不安定さを感じる点にある。
若さゆえの矛盾なのか、周囲に誰も突っ込みを入れる真っ当な大人がいないか、全部分かった上でそれでも芸能界から逃げたかったか。



この際、その逃げた先が「幸福の科学」である事はもはやどうでもいい。
そこは清水富美加本人が好きで選んでいるなら問題はないと思う。
ご両親が信者で、自然とそこに落ち着いたのかもしれないし。



問題はどこへ逃げたかではなく、何故逃げたかた、だと思うのだが、
これはもう、「逃げた」と言われても否定出来ない状態にあるのは本人も認める所だろう。
彼女の出したメッセージの中に、



『突然に、本当に突然に、芸能界から姿を消して申し訳ありません。お世話になっていた現場や、共演者さん、スタッフさん、関わらせて頂いた方々にご迷惑をおかけしている事、しっかりと自覚しております』



とあるからだ。
芸能界の事はよく分からないが、実際その世界で今も汗かきベソかき日夜働いている人間からしてみれば、



「いやいや、何勝手なこと言ってんの」



という批判が出る事は当然であり、そこを攻めても仕方あるまい。
それは芸能界だから、ではなく、『職場』として、共に働き共に責任を持って作品を担ってきた人間同士の義理や責任の問題だからだ。
ただそういう他人に迷惑をかけるような不義理さえ働かねば、芸能界を去る事になんの問題もなかったはずなのに、今なぜこういう事態を巻き起こしておいて、



「自覚しています」



という言葉をつかえるのか。
自覚してないから出来る逃走のはずだろうに。



ストレスだってあるだろう。
嫌な奴もいるだろう。
腹立つ仕事もあるだろう。
水着は恥ずかしかろう。
給料もっと欲しかろう。



それは、芸能界だからか?
違う。
まあ水着はアレとしても、どこ行ったって感じるストレスなんじゃないのか。
今後彼女が衝撃の事実を明かにしたとして、芸能界特有の、「ああ、これは可哀想。これは続けちゃ駄目」と同情し得るなんらかの酷い話が出て来るとしても、だからと言って周囲に迷惑を掛けてもよい、という流れになるだろうか?



しかも、そこに至るまでの道筋を作ったのが、「宗教」であるという怖さ、矛盾。
どんな宗教であれ、何を崇めるであれ、第一に、心の安寧や平和、幸福、愛情などを優先するものではないだろうか。



ストレスを感じています。
仕事が辛いです。
だから、出家します、では、「だから」の部分に矛盾が生じているという事を何故誰も、周りの大人は説明できないのだろうか。



自分が楽になるために、周囲に迷惑をかける行為を、宗教とつなげちゃ駄目だろう。



嫌になったら逃げていい、と思う。
死ぬほど辛い事があるなら、やめたっていいだろう。



だからと言って、出家を使うなよ。
安易に神や超自然を持ち出して、あたかも自分が「何かに目覚めた」ように演出して、己の持ち場からの逃走を正当化しようとするのは、しっかりと考え抜いた大人のするべき事ではないように思う。


これは、清水さん本人が言った事なのか分からないが、今後新しい名前で講演会に出ていく、といった内容の文を目にした。
これを見た時、私が最初に思い出したのが、お笑いコンビ、パンクブーブーだ。彼らのネタ中、突っ込みの黒瀬氏がこう突っ込む。


聞く耳もたねえわー、万引き主婦の言葉ー」



清水富美加を万引き主婦と同列に語る事はやりすぎかもしれない。
しかし似ていると思ってしまう。
彼女は、今後神のために生きていきたいと言う。
それは彼女なりに前向きな言葉なのだと思う。
しかし今後彼女が講演会でどんな素晴らしい宗教観を話そうが、
私の心にはきっと届かない。
なぜなら、周囲に迷惑をかける事を「自覚」して「出家」し、「神を信じて」ファンタジックな事を言い出す人間に、共鳴する事などないからだ。



そういう現実の側面を、彼女は理解しているだろうか。
おそらく、本当に彼女が講演会を開催し、あるいは登場し、そこを訪れる人間は同じ幸福の科学の信者と、面白がるメディアと、「清水富美加を応援し続けてきたファン」だ。
そんな人間を前にして、彼女は笑えるんだろうか。
何を言うつもりなんだろうか。
神のために生きるとは、一体なんだろうか。
誰かを悲しませる事が、神様のためになる宗教って、一体なんだろうか。



もし私がその宗教の立場ある人間なら、
もっと違った導き方をしただろう。
残念だ。





(追記)

この記事を書いた翌日か、翌々日ぐらいに告白本出版の話を聞いた。
近年まれに見る茶番劇と言わざるを得ない。
確かに、幸福の科学は出版社を抱えているので、他のタレント本事情とは違うだろう。自分んちの信者であることを踏まえると、他所と比べられない程のスピードで本を出せるというのも理解できる。
出版社なんて本出して売ってなんぼ。
商売根性丸出しで、これまでも目を疑うような本をたくさん出してきた。
だからそこはもういい。それが平常運転だし。
だけど、仕事や事務所やその他もろもろ嫌になって逃げた人が、
自分ちの商売根性の片棒は担ぐんだ?
そもそも、なんだよ、告白本って。
精神的に追い詰められている発言や、死にたい発言や、その他もろもろネガティブな理由ぶちあげて引退を強行するような人間が、



『全部、言っちゃうね』



そんなアイドル歌手のニューシングルみたいなタイトルの本出すなんて、随分楽しそうだな。
こればっかりは計画的だったと言う他なく、そもそも病んでないじゃないか。
絶対各方面から総突っ込みを食らうと分かっていて出すんだから、
それ相応の言い訳を用意しているか、不思議ちゃんなんだろうな。
ご丁寧に、



「死にたかった7年と、死ねなかった七年」



なんてコピーまで付けて、サブタイトルは、



「今日、出家しまする」だと。



出家、しまする????



色んなものを舐めている。
人を、仕事を、世の中を舐めている。
別にいいんだけど。
個人的に痛くも痒くもない。
しかしもう自分を正当化しようとしたり、「分かってほしいの」発言は聞くに堪えないので何も発信せずひたすらお祈りしててね、と思います。



今回の騒動で、彼女の無責任な行動を批判する人達に対し、今度は批判する人間を批判する人達まで出て来た。
なんでも、芸能界特有の総攻撃が気持ち悪い、とか。
逆張りすればいいってもんじゃないだろう、伊集院さん。
駄目なもんはダメなんだよ。
それ言って何が悪いんだ。
総攻撃くらうって事は相応の反感を買ったって話であって、
好き嫌いの話ではない。
そうまでして逃げたくなるような彼女の命を考えて、もっと多方面から言葉を掛けてあげるべき…?



それは家族がやればいいこと。



職場の人間が今回の騒動を容認したらダメだろうよ。
自分が関わった作品の内容にまで「私には受け入れられなかった」発言をかまし、後ろ足で砂を掛けてトンズラする人に対し、どこまで優しく出来るか競争する必要もあるまい。後になって、あれは嫌だったこれは嫌だったを繰り返すなんで仕事を舐めているとしか思えないし、そこに携わった人を舐めている。仮に思ったとしても、引き受けた以上は全うするのが筋だし、人としての在り方だ。
そもそも嫌なら受けるんじゃない。
降板が決まった「にじいろジーン」という番組サイドには、毎週大阪に来れて嬉しい、という好意的な発言をし、以前共演した男性タレントには、「今の事務所は相談に乗ってくれる良い事務所」という発言をしていたという。
何が嘘で何が本当か分からないけれど、今清水さんを信じる事は出来ないし、ますます怖さが募るばかりだ。