ベビーカー自粛の初詣だって?

待て待て待て。
そもそも、
ベビーカーに載せるような年齢の子供を、
ノロウィルスやインフルエンザ、
その他もろもろ良くない菌がうようよいるであろう、
人込みで混雑する、
この冬の寒空の下、
初詣したい一心で、
突進していく親が鬼畜だと思います。



寺側の意見とか主張だかを責め立てるように聞く前に、
もうちょっと考える所あるだろう、と。



「初詣で子供の健康を祈願したい」?
今既に危険に曝そうとしてるように思いますよ。
「ベビーカーだけ自粛を求めるなら差別になる」?
え?なんで?
「何の落ち度もない単に小さい子供を連れたママさんが初詣に来て、これを見て嫌な気持ちになると想像できないだろうか」?
何の落ち度もないのは来るまではそうかもしれん。
しかし冒頭に書いたような条件の下、幼児を大人の事情で連れまわすのは、落ち度だと思います。
普通、行きたくないですけどね、混雑している場所なんて。




それを受けて乙武さんが、
肩身が狭いとツイートしたようです。
車椅子も同じように見られてるんかなーと思うと…、だそうです。
不寛容な社会、だとか、生きづらさについて思う所あるようですが、
まず議論しないといけない点がズレてません?
逆効果になると思うんですけどね、差別とか言い出すと。
例えば昔行ったパンクロックのライブで、
車椅子に乗ったファンが、周りの好意に甘えて最前列に陣取っていました。
私はこれは差別だと思いますよ。
私が車椅子に乗っている立場だとしたら、やめてくれと言います。
どういう条件の人であろうが平等、対等が公平のはずです。
そのバンドのファンであり、ライブを見に来たというだけの、
皆同じ目的を持った人の群れ。
その中には、見た目には分からないが重度の病気を持った人もいれば、
その日にしか生でバンドを見に来れる機会の得られない人もいるし、
車椅子も、子供も、女も、老いも、ジャンキーも、アル中もいます。
ただ一つ、皆ライブを見に来た。楽しみに来た。
その群れの中で、車椅子の人にだけ優しいというのは、私には差別です。
そういった事を、思い出しました。
危険だし、ズルをする輩が現れるから、ベビーカーで初詣するのは自粛してね、という至極真っ当な呼びかけに対し、
「肩身が狭い」
「生きづらい」
「不寛容な世界」
と殊更悲壮感を漂わせて、
「もっと甘やかしてくれよ」
と訴えるのは、平等を呼びかけるというより差別してくれという風に聞こえます。
もちろん、どんな人でも住みやすい環境に整備していく事業は必要です。
ただそこには、障碍者や家族側の希望や願いであると同時に、健常者側の思いやりという優しさも半々で含まれている事も事実だと思います。
その感情のバランスはとても大事で、どちらか一方に傾き過ぎても、すぐに衝突や摩擦を引き起こしてしまう物だと、私は思うわけです。