心がバタバタしていました。

「何度か書こうと試みたのですが、パソコンの画面をぶん殴りたい衝動にかられていました。
とくに理由が思いつかないので、まさに衝動です。
幸せなはずなのに、一歩引いて見ている自分と、自分の置かれた環境との温度差が激しくて心がどっちつかずです。
今自分は幸せだよな?
ああ、幸せなはずだ、娘が生まれてもうすぐ一ヶ月。
今の所、禁煙も続いている。
もうすぐ実家に戻っていた奥さんと娘が帰って来る。
今が一番楽しい時だ。
なのにどうした事だろうか。
今、猛烈にしんどいのです。
毎日何かを考えています。
そして全てが解決しないのです。


あー、だからか、今分かりましたよ。
私はこれまで、ずっと、しんどかったし、辛かったのです。
そして、そんな私の所へ、娘がやって来てくれた。


常にどこか尖っていて、常にどこかに不満を感じていて、
常にどこか不で幸だと思っていて、常に疲れている。
そんな、平凡な日常の中に潜むモヤモヤに飼いならされて、諦めの毎日を送っていた私の所へ、天使がやって来たのです。
戸惑っているのかもしれません。
全てを吹き飛ばすくらいの幸せな毎日が訪れるのか、
これまで以上に疲労や不安と闘う毎日が訪れるのか。


特に何もないけれど、まあまあ平凡なりに幸せだと感じる日々の中に、さらに幸せな誕生が訪れたのではなく」





…という書きかけの文章がずっと放置されていました。
強烈に負のパワーを感じるポエムのように病的な世界観ですね。
我が事ながら、怖い。
この記事を消して無かった事にするか、この時の気持ちをきちんと完結させて消化するべきか迷ったあげく、結果「寝かせてみる」という放置。
そして結局記事の一部として取り込んで言い訳をかます
我ながら、疲れてんだなーと肩をポンポンしてあげたい。
しかしこれを書いて投稿しようとしていた時の自分に掛けてあげる言葉が今もって出てきません。奥さんがいつかこの記事を読んだら怒るでしょうね。よくこんな恥ずかしい事をネットに晒せたね。しんどいのはこっちの方だったよ、と言われるかもしれません。
ただこういう心理的にギューっと縮こまっているような、内向的になっている時って、おそらく周囲には理解されないし、抜け出た人にしか分からない辛さなのだと思います。
誰から見てもハッピーな、幸せの絶頂にいるかのような状態でも、人はやはり疲れるし、良くない事も考えるし、目に見えない何かから訳もなく逃げたい衝動に駆られる事があるんだ、という事を身をもって学んだ気がします。とはいえ、人に胸張って、「あなたの気持ちわかるよ」なんて言うつもりはありませんけどね。
ただマリッジブルーってこういう事なのかな?と一瞬考えたりもしました。結婚て幸せだけれど、幸せという無限の選択肢を全部捨てて一本に絞るようなものかも、と考える事って、男女問わずあると思います。
実際は、よーく考えるとそんな事はないのですが、一瞬でもそういう不安に捕らわれると連鎖的に悪い事を考えてしまうような。
世に言うマリッジブルーがどういうった心境を指すのか調べずに書いているので見当違いならごめんなさい。
もっともっと現実的な、了承し切れない切実な悩みを抱えたまま結婚生活に踏み出さなければ行けない苦しみ、であるとか、そういった事なのかもしれませんね。



ともかく、今はただ私自身の体の事が一番の心配です。
もう若くはないので、娘が成人する頃には還暦まで数年です。
なにせ腰が悪い。
酷く悪い。
今はまだ抱っこしてあやす事も出来ますが、そのうち抱え上げられなくなるでしょう。
保育園や小学校で、運動会で一緒に走ってあげる事も出来ないし、肩車さえ怪しいものです。
それが今からとても不安です。
何より、私は長生きしたいです。
頑張って煙草もやめています。
前回ここで禁煙失敗を嘆いてから今日まで、一本も吸っていません。
しかしこういう頑張りって意外に報われないものだという事も、人生経験として知っています。
ひたすら、娘の為に長生きしたい。
あと娘の健康。
突然死の不安。
事故や病気への不安。
奥さんの疲労
生活の不安。
病的な文章を書くような心境は脱したとはいえ、置かれた環境に点在する日々の悩みは尽きませんし、無くなりません。
それらと戦いながら、少しでも幸せな方向へと舵取りをしていかねばなりません。くよくよしている暇などありません。
お父ちゃん、頑張ります。





と、いかにも「綺麗に纏めた感」を出して終わっている文章を書いたのが2、3日前です。
最後までやはりどこか病的な空気が抜けきっていないですね。
特に書く事がないなーと思いながら、今感じている事を素直に書き残そうか、と思い立ったタイミングが最悪でした。
これならまだ高知東生氏の話を書いてたほうがマシでしたね。
興味がないので書きませんし、芸能ネタを面白可笑しく囃し立てるだけではブログの趣旨からもズレてしまうので、そこを切っ掛けに思う事がないと書く意味がないのですが。
それでも今回の記事は自分で読み返しても重いし辛いです。
「こういう時もあったな!」といずれ笑える日が来ると信じて、あえてそのままにしておきます。これもまた私自身から出た言葉なので。
あー、恥ずかしい。