とてもじゃないが全力で賛成はできない。

ちょっと前に、ネットニュースではなく某フリーアナウンサーの方がブログにて書いていた事で知った、「親に抱っこしてもらう」宿題の話。ネットニュースでも読みましたが、美談として評価される一方で、否定的な意見もネットに上がっているとか。
小学校の宿題で、「一分間親に抱っこしてもらう」というものが出されて、改めて子供を抱きしめる事の重要さを伝える、みたいな話です。
タッチセラピーという言葉もありますし、良い事なのは間違いないと思います。しかし、昔は抱っこグセがつくからあんまり子供の要望に応えてばかりではいけない、という考え方だったのがここ最近ではどんどんスキンシップをとって愛情を伝えていくべきだ、という見解に変わってきているなど、時代によっても考え方は変わるようです。
フリーアナウンサーさんも、科学的な根拠や論文などを例に出して、結構な勢いで否定派に怒りをぶちまけていらっしゃいました。相変わらずです。子供は愛情たっぷり抱きしめてあげて下さい。心の成長に必要不可欠なことです、という意見には大賛成です。私も個人的には嫌がられたって抱っこしますよ。当たり前じゃないですか。そもそも宿題にされなくても抱っこはします。
しかし、問題はそういう事ではありません。
某フリーアナウンs長谷川さんが怒っていらしたのが、その宿題を出した教師に対して「エゴだ」「親のいない子はどうする」「公私混同だ」「愛情表現を学校行事に絡めるな」という意見がネットに出ていた事に対してです。割合は分かりませんが、一つの事象に対して100%肯定する意見しか出ないなんて事はほぼほぼ起こりませんよね? ブログを読んだ限りでは、ネットリテラシーうんぬんではなく、否定的立場からして既に言語道断、と斬っているように見えましたが、やはり私は腑に落ちない。何故そんなに怒っているんだ。
「勉強しろ、本を読め、それ以外に何のコメントも浮かばん」
と仰っていたのですが…。
うーん。勉強?本?なんの事でしょうか。論点が違う。
親が子供を抱っこする事になんの意味もない、科学的根拠もない、馬鹿め!
という意見が、ネット上とはいえ学校の先生に対して発言されていたなら、怒っても良いと思います。しかし、恐らくネット上で否定的な意見を書いた人というのは教師に対する配慮の無さを糾弾しているのではないでしょうか。
これは別の学校の話だと思いますが、実際に両親が離婚していたり死別していたりする子供がいる場合、そういう子に対して個別に心のケアを行うなど配慮を徹底している、と答えたそうなのですが、いやいや待って待って、子供の繊細さを舐めているんじゃないですか?
個別に心のケアってなんだよ。そんな事されたら余計に悲しくなっちゃうよ。子供にとって、学級生活において一番ストレスフリーなのは「特別な出来事が起こらないこと」だと思います。
抱っこの対象を親と限定せず近しい人で良いと伝えている、との事ですが、実際の両親に抱っこされて、照れながら「昨日さー、うちの親がさー」って話しているクラスメートの会話を、親戚や兄弟に抱っこされた友達はどんな気持ちで聞けばいいのですか?
書いてるだけで泣きそうになるわ!
今回話題になった先生の受け持っているクラスは全員が両親共に揃っているのかもしれない。しかし全国でもこういった「抱っこの宿題」は出されているわけで、半べそかいて淋しい気持ちになっている子供も大勢いるだろうと思うと、美談だ美談だと持ち上げて全国運動に広めようとする動きには思慮深さが足りないんじゃないかと、思ってしまうわけです。


長谷川さんは言います。
「抱きしめるのは誰でも良い、しっかり抱きしめてあげることが大事」、だそうです。


机上の空論だと思うのは私だけですか。
「そりゃそうかもしれないが、それ今言う事かね?」です。
世の中には親のいない子共はたくさんいます。が、確かに産みの親が居なくても、親代わりの誰かが愛情たっぷりに育ててくれたなら、その子供は真っ直ぐ、すくすくと健やかに育つのだと私も思います。長谷川さんの仰っているのはそういう事です。
学校の先生が「宿題出すから抱っこされて来い」と言った話とは全然違う、と私は思いますし、そういった意味でネット民が否定的なコメントを出したのならもちろん理解出来ます。


「一見美談なんだけど、美談の枠に当てはまれない家庭環境の子達に対して配慮が欠けていないか?」


という意見はそんなにおかしいでしょうか?あとは言い方の問題ですよね。エゴだ!と表現したり、何故わざわざ学校行事に絡める事を強制する必要があるんだ、とか。確かに皆が皆、私のような気持で、否定コメントを書いているかは分かりませんが、長谷川さんにはこういう立場の意見にも耳を傾けて欲しかったです。


今回こういった宿題が出された背景には、宿題を出した先生自身の経験が関わっているようです。先生自身があまり親に抱っこしてもらえないまま死別した経験から、生徒達はたくさん親御さんに抱きしめられて欲しいという思いがあったようです。
分かりますよ、その気持ちは痛いくらいに。
不景気で共働きの家庭も多い。親子の時間がなかなか取れず、愛情を示してあげる手段も忘れてしまった。そういう親子関係もたくさんあると思います。そういう実態を憂いて、何か教師という立場から生徒達に出来る事はないかと考えたのだと思います。その事はとても素晴らしいし、自分の子供の先生がこういう考えの出来る人なら良いなとさえ思います。
しかし、そのやり方は、宿題ではない方が良かった。
例えば連絡網などに、自分の身の上を書いて、「短い時間でも良いので今日、今、抱きしめてあげて下さい」とメッセージを残すだけでは、駄目だったのでしょうか?
そうすれば突然抱きしめられた子供達はなんの事だか分からないけど、「照れるけど嬉しい」、「恥ずかしいけど癒される」、「特別な事ではないけどなんか幸せだ」、そんな時間をノーリスクで味わえたと思います。この場合のリスクは自分にとってではなく、誰か他のクラスメートを悲しませる可能性という意味でのリスクです。だってこれが宿題でなければ、自分の身に起こった嬉しいサプライズはクラスメート間での共通項とは思わないはずですから、翌日教室でその話題になる確率は「宿題」よりもはるかに下がるはずなのです。(もちろん絶対ではありませんが)尚且つ、連絡網を見る親御さんのタイミングも皆同じではないだろうから、子供を抱きしめる日も各家庭でバラつきが出る。そうなれば余計にクラスの話題としては広がり難い。
否定してばかりではいけないので、自分なりの案を出してみました。


生徒一人一人の連絡網に書く時間はないかもしれない。
書いた所で目聡く発見した生徒がクラスで言いふらすかもしれない。
私の言った方法が最善だとは思いませんが、「宿題」としてクラス全員に周知させる事で、心がヒュッと萎縮する生徒がいるかもしれないと、ほんの少し配慮してもらえたら、違ったやり方を探せたかもしれないなぁという思いから、もろ手を挙げて賛成はできません、という結論に至りました。
先生なりに考えて考えてこの方法を選んだのかもしれないし、本来であればとても責める気になどならない話です。
今回こうして否定的な意見が出てしまった事について、誰かさんのように真っ向から対立などせず、可愛い生徒のために尽力し続けていただけたらなーと、勝手に応援しています。