cali≠gariってば

2つのバンドの事を同時に書くのは辛いので、一先ずDirの事は置いといて今回は「cali≠gari」である。
2002年発売の「第7実験室」を聴いた時、ずっと思い悩んでいたビジュアル系に対する解答を得た気がした。あくまで個人的な意見なので「何を言ってんだ、ハッ!」とせせら笑う人は回れ右して下さいね。
ビジュアル系と聴いて思い浮かべる事といえば、まずそのルックス。男なのに皆綺麗。(格好良いという見方よりもまず綺麗、という判断になってしまう。男から見て男の思う格好良いルックスは、ビジュアル系とは真逆だしね。)そして世間が直視しない退廃的な世界観を好んでいる。この2つがまず前提としてあると思うんだ。これがないとビジュアル系やっちゃいけない、レベルの。いや知らないけど、イメージね。けれども音楽である以上その2つの重要な要因をどんな風に発揮するかが大事なんだが、これが非常に難しいと見えて、8割9割のバンドが、どちらか片一方の要素だけが目立っていたり、上手く両立しているように見えてもアングラ過ぎて、言い換えればオナニー過ぎて他人様に通用しない。
そう、まず音楽でしょう。音楽として成立しないとお話にはならないでしょう。
所謂、世間とズレている。そこのもどかしさや、己の内にある負の世界を発露したい欲求は良く分かる。けどそれを音楽に昇華させる時、どうしても皆、「俺達、不思議でしょ?」「人と違うでしょ?」「この世界についてこれるかな?フフフ」な感じに見えてしまう。そこも重要なんだけど、そこを商業音楽に乗せるなら、もっと自分達を引いて見る客観性が必要だと思うの。
ナルシストなジャンルじゃない、言ってしまえば。自己顕示欲の塊じゃない。自分が好きだから女装に近い変装をしてる場合もあるけれど、そのままの自分達で表現するなら、「分からないお前達がおかしいんだよ」なスタンスじゃあ寂し過ぎないか?(もちろん他人に合わせてアイデンティティもくそもない、当たり障りの無い音楽やるよりは全然マシだけど)一部の熱狂的な女子ファンに囲まれてニンマリするだけで満足なら、そんなに格好付けてるのは恥ずかしいぞ。(言いすぎですごめんなさい)
ずっとそう思ってきた。そんな風に見てきた。けどcali≠gariの第7実験室を聴いた時、彼らは全部持っていた。なんなら色んなファクターを一つや二つ取り除いても、そこに残る何かがあった。これは凄い事なんだと思うよ。
演奏力、歌唱力、表現力、世界観、ルックス。ちゃんとしてる。ちゃんとしてるって言い方も変だけど、特有の世界観と音と歌がガッチリ噛み合って、作品として素晴らしい物を世に出している。まあ、馬鹿っぽいのもあるけど、だがそれが良い!自分達のこだわりを追及して、努力して、イメージ任せにしてない。
このアルバムで言えば、2、3、4、10、13曲目は秀逸。名曲。こんな事言うのは失礼にあたるけど、ホント、なんでビジュアル系なの?と思えてくるくらい、素晴らしい曲を作っちゃった。ビジュアル系が駄目という評価ではなくて、そんなカテゴライズいらないじゃないか、と思えるレベルなのです。(本人達は自分達をビジュアル系と思ってないかもしれないけど)
石井秀仁のヴォーカルは歌心があり艶もある。歌メロがまた良くて、歌詞の乗せ方も巧い。近年マキシマムザホルモンの亮君が、こういう日本語に聞こえない日本語の歌唱の巧みさで人気だけど、全く引けをとらないとさえ思う。なんならあちらはほぼ全編シャウトで音に紛れさせている部分もあるから、リズムに乗せると単語ならどんな日本語も英語っぽく言える事を鑑みれば、割とクリーンに歌う石井さんの方が巧い、と言えなくもない。
そして音。拘ってるねー。打ち込みや管楽器も巧みに使い、ギター、ベース、ドラムのしっかりした演奏も音の厚みを支えている。

ルックスに頼らない。自分達の特異な感性に固執しすぎない。心の闇に負けない。一般的なイメージを覆す。全部笑ってさらりと作品に仕立て上げる。「いや、それでもこういうの、好きですし、何か?」これがビジュアル系出身の、正しいバンドの完成形だとさえ思えてくる。そういう意味での、「解答」。