連載第一回。「はじめに」
夕焼けに染まる街を歩いていて、ふと心細さを感じて辺りを観察した事は誰にだってあると思う。
ならばそこで感じる、他人の家の夕ご飯の匂いだったり、低空を飛ぶカラスの泣き声だったり、疲れた顔を俯かせて歩く大人達だったり、自分の世界を形作るそれら小さなパーツに対して、遠すぎる隔たりを感じた事は、あるだろうか。
あるいは人気の絶えた夏の夜の畦道で。
あるいは人の多さに眉を顰めながら逆らうように彷徨った都会の繁華街で。
私は今、ここにいる。だけどここにはいない。そんな感情。
伊澄翔太郎という人の事を考える時、いつも思う事。
それは、彼が私にとって唯一の現実だという事だ。
大病を経験し、ベッドの上で自分の生き様を考える日々の中で、彼の存在だけが唯一自分の人生に触れる事の出来る扉なのだと感じていた。
彼が生きている限り、私もこの世界に生きている。
その事だけが、たった一つ私自身が理解する真実だった。
この先何年生きるのか、これまで生きた来た人生に意味はあったのか。
何も確かな答えは出せないけれど、今彼が大切だと思う心。
彼に感謝する気持ち。
彼が存在する限り、私もこの地上で息を吸い、吐き続けるのだという誓いを胸に、私は今日も生きている。
時枝可奈という女性の雑誌記者と出会った事が、この物語を書き連ねるきっかけとなった。以前私は彼女からインタビューを受けて、自分の半生をなぞる「たとえばなし」という書籍を出版していただいた。
自分で言うのもおこがましいが、良い本だと思う。
内容がどうこうというより、主人公が私と伊澄翔太郎だからだ。
それだけで賞賛に値する。
冗談はさておき、この度私関誠自身の手で新たな本を出版する機会を戴いた。
この原稿を書いている時点でどうなるかは分からないが、出来る事なら時枝可奈の書いた本をぶっ潰す勢いで、更に濃度を上げた内容を書いてみたいと思う。
今これを読んでいるあなたに感謝を。
私を生んでくれた両親に感謝を。
出会いに感謝を。
愛するあなたに。
気が付けば一年4か月。
ただいま戻りました。
またぼちぼち、色々書いて残せたらいいなと思っております。
今月頭に娘が2歳になりました。
「言葉を残そう」なんてタイトル付けておきながら全く残せておりませんが、そんなこんなで早、2歳です。
今もう、わけのわからない言葉をつなげてつなげて、
ベラベラ一日中喋っております。
最近は、可愛いポーズをこちらがせがむと、
「写真撮る(撮って)!」
とモデルさんみたいな事を言います。
意味なく携帯を弄っていると、
「○○ちゃん(自分の名前)、見る!」
と自分大好き発言を叫んできます。
面白いです。
止まったままのエントリーを見ると、ほんの1年数か月前の出来事なのに、時代を感じてしまいますね。
千眼さん。
いやあ、おもしろい。
だって普通に映画出てますもの。
もちろんバックには幸福の科学がついてますが、まだ女優さんでいらっしゃいます。
出家て一体何なんでしょうね。
1年数か月たった今も、それは分かりません。
寝苦しい夜に。
(何を言うてねん)
宗教って、なにかね。(2月18日、追記)
全く持って怖い話だ、と個人的には思っています。
今世間を騒がせている清水富美加さんの出家騒動の一番怖い所は、もし公に出た彼女のメッセージが直筆で彼女自身の言葉であると仮定するならば、矛盾だらけだという事。そしてそこから察するに、あと何年後かにいきなり出て来て「あの時私はおかしかった」なんて言い出しかねない不安定さを感じる点にある。
若さゆえの矛盾なのか、周囲に誰も突っ込みを入れる真っ当な大人がいないか、全部分かった上でそれでも芸能界から逃げたかったか。
この際、その逃げた先が「幸福の科学」である事はもはやどうでもいい。
そこは清水富美加本人が好きで選んでいるなら問題はないと思う。
ご両親が信者で、自然とそこに落ち着いたのかもしれないし。
問題はどこへ逃げたかではなく、何故逃げたかた、だと思うのだが、
これはもう、「逃げた」と言われても否定出来ない状態にあるのは本人も認める所だろう。
彼女の出したメッセージの中に、
『突然に、本当に突然に、芸能界から姿を消して申し訳ありません。お世話になっていた現場や、共演者さん、スタッフさん、関わらせて頂いた方々にご迷惑をおかけしている事、しっかりと自覚しております』
とあるからだ。
芸能界の事はよく分からないが、実際その世界で今も汗かきベソかき日夜働いている人間からしてみれば、
「いやいや、何勝手なこと言ってんの」
という批判が出る事は当然であり、そこを攻めても仕方あるまい。
それは芸能界だから、ではなく、『職場』として、共に働き共に責任を持って作品を担ってきた人間同士の義理や責任の問題だからだ。
ただそういう他人に迷惑をかけるような不義理さえ働かねば、芸能界を去る事になんの問題もなかったはずなのに、今なぜこういう事態を巻き起こしておいて、
「自覚しています」
という言葉をつかえるのか。
自覚してないから出来る逃走のはずだろうに。
ストレスだってあるだろう。
嫌な奴もいるだろう。
腹立つ仕事もあるだろう。
水着は恥ずかしかろう。
給料もっと欲しかろう。
それは、芸能界だからか?
違う。
まあ水着はアレとしても、どこ行ったって感じるストレスなんじゃないのか。
今後彼女が衝撃の事実を明かにしたとして、芸能界特有の、「ああ、これは可哀想。これは続けちゃ駄目」と同情し得るなんらかの酷い話が出て来るとしても、だからと言って周囲に迷惑を掛けてもよい、という流れになるだろうか?
しかも、そこに至るまでの道筋を作ったのが、「宗教」であるという怖さ、矛盾。
どんな宗教であれ、何を崇めるであれ、第一に、心の安寧や平和、幸福、愛情などを優先するものではないだろうか。
ストレスを感じています。
仕事が辛いです。
だから、出家します、では、「だから」の部分に矛盾が生じているという事を何故誰も、周りの大人は説明できないのだろうか。
自分が楽になるために、周囲に迷惑をかける行為を、宗教とつなげちゃ駄目だろう。
嫌になったら逃げていい、と思う。
死ぬほど辛い事があるなら、やめたっていいだろう。
だからと言って、出家を使うなよ。
安易に神や超自然を持ち出して、あたかも自分が「何かに目覚めた」ように演出して、己の持ち場からの逃走を正当化しようとするのは、しっかりと考え抜いた大人のするべき事ではないように思う。
これは、清水さん本人が言った事なのか分からないが、今後新しい名前で講演会に出ていく、といった内容の文を目にした。
これを見た時、私が最初に思い出したのが、お笑いコンビ、パンクブーブーだ。彼らのネタ中、突っ込みの黒瀬氏がこう突っ込む。
「聞く耳もたねえわー、万引き主婦の言葉ー」
清水富美加を万引き主婦と同列に語る事はやりすぎかもしれない。
しかし似ていると思ってしまう。
彼女は、今後神のために生きていきたいと言う。
それは彼女なりに前向きな言葉なのだと思う。
しかし今後彼女が講演会でどんな素晴らしい宗教観を話そうが、
私の心にはきっと届かない。
なぜなら、周囲に迷惑をかける事を「自覚」して「出家」し、「神を信じて」ファンタジックな事を言い出す人間に、共鳴する事などないからだ。
そういう現実の側面を、彼女は理解しているだろうか。
おそらく、本当に彼女が講演会を開催し、あるいは登場し、そこを訪れる人間は同じ幸福の科学の信者と、面白がるメディアと、「清水富美加を応援し続けてきたファン」だ。
そんな人間を前にして、彼女は笑えるんだろうか。
何を言うつもりなんだろうか。
神のために生きるとは、一体なんだろうか。
誰かを悲しませる事が、神様のためになる宗教って、一体なんだろうか。
もし私がその宗教の立場ある人間なら、
もっと違った導き方をしただろう。
残念だ。
(追記)
この記事を書いた翌日か、翌々日ぐらいに告白本出版の話を聞いた。
近年まれに見る茶番劇と言わざるを得ない。
確かに、幸福の科学は出版社を抱えているので、他のタレント本事情とは違うだろう。自分んちの信者であることを踏まえると、他所と比べられない程のスピードで本を出せるというのも理解できる。
出版社なんて本出して売ってなんぼ。
商売根性丸出しで、これまでも目を疑うような本をたくさん出してきた。
だからそこはもういい。それが平常運転だし。
だけど、仕事や事務所やその他もろもろ嫌になって逃げた人が、
自分ちの商売根性の片棒は担ぐんだ?
そもそも、なんだよ、告白本って。
精神的に追い詰められている発言や、死にたい発言や、その他もろもろネガティブな理由ぶちあげて引退を強行するような人間が、
『全部、言っちゃうね』
そんなアイドル歌手のニューシングルみたいなタイトルの本出すなんて、随分楽しそうだな。
こればっかりは計画的だったと言う他なく、そもそも病んでないじゃないか。
絶対各方面から総突っ込みを食らうと分かっていて出すんだから、
それ相応の言い訳を用意しているか、不思議ちゃんなんだろうな。
ご丁寧に、
「死にたかった7年と、死ねなかった七年」
なんてコピーまで付けて、サブタイトルは、
「今日、出家しまする」だと。
出家、しまする????
色んなものを舐めている。
人を、仕事を、世の中を舐めている。
別にいいんだけど。
個人的に痛くも痒くもない。
しかしもう自分を正当化しようとしたり、「分かってほしいの」発言は聞くに堪えないので何も発信せずひたすらお祈りしててね、と思います。
今回の騒動で、彼女の無責任な行動を批判する人達に対し、今度は批判する人間を批判する人達まで出て来た。
なんでも、芸能界特有の総攻撃が気持ち悪い、とか。
逆張りすればいいってもんじゃないだろう、伊集院さん。
駄目なもんはダメなんだよ。
それ言って何が悪いんだ。
総攻撃くらうって事は相応の反感を買ったって話であって、
好き嫌いの話ではない。
そうまでして逃げたくなるような彼女の命を考えて、もっと多方面から言葉を掛けてあげるべき…?
それは家族がやればいいこと。
職場の人間が今回の騒動を容認したらダメだろうよ。
自分が関わった作品の内容にまで「私には受け入れられなかった」発言をかまし、後ろ足で砂を掛けてトンズラする人に対し、どこまで優しく出来るか競争する必要もあるまい。後になって、あれは嫌だったこれは嫌だったを繰り返すなんで仕事を舐めているとしか思えないし、そこに携わった人を舐めている。仮に思ったとしても、引き受けた以上は全うするのが筋だし、人としての在り方だ。
そもそも嫌なら受けるんじゃない。
降板が決まった「にじいろジーン」という番組サイドには、毎週大阪に来れて嬉しい、という好意的な発言をし、以前共演した男性タレントには、「今の事務所は相談に乗ってくれる良い事務所」という発言をしていたという。
何が嘘で何が本当か分からないけれど、今清水さんを信じる事は出来ないし、ますます怖さが募るばかりだ。
ベビーカー自粛の初詣だって?
待て待て待て。
そもそも、
ベビーカーに載せるような年齢の子供を、
ノロウィルスやインフルエンザ、
その他もろもろ良くない菌がうようよいるであろう、
人込みで混雑する、
この冬の寒空の下、
初詣したい一心で、
突進していく親が鬼畜だと思います。
寺側の意見とか主張だかを責め立てるように聞く前に、
もうちょっと考える所あるだろう、と。
「初詣で子供の健康を祈願したい」?
今既に危険に曝そうとしてるように思いますよ。
「ベビーカーだけ自粛を求めるなら差別になる」?
え?なんで?
「何の落ち度もない単に小さい子供を連れたママさんが初詣に来て、これを見て嫌な気持ちになると想像できないだろうか」?
何の落ち度もないのは来るまではそうかもしれん。
しかし冒頭に書いたような条件の下、幼児を大人の事情で連れまわすのは、落ち度だと思います。
普通、行きたくないですけどね、混雑している場所なんて。
それを受けて乙武さんが、
肩身が狭いとツイートしたようです。
車椅子も同じように見られてるんかなーと思うと…、だそうです。
不寛容な社会、だとか、生きづらさについて思う所あるようですが、
まず議論しないといけない点がズレてません?
逆効果になると思うんですけどね、差別とか言い出すと。
例えば昔行ったパンクロックのライブで、
車椅子に乗ったファンが、周りの好意に甘えて最前列に陣取っていました。
私はこれは差別だと思いますよ。
私が車椅子に乗っている立場だとしたら、やめてくれと言います。
どういう条件の人であろうが平等、対等が公平のはずです。
そのバンドのファンであり、ライブを見に来たというだけの、
皆同じ目的を持った人の群れ。
その中には、見た目には分からないが重度の病気を持った人もいれば、
その日にしか生でバンドを見に来れる機会の得られない人もいるし、
車椅子も、子供も、女も、老いも、ジャンキーも、アル中もいます。
ただ一つ、皆ライブを見に来た。楽しみに来た。
その群れの中で、車椅子の人にだけ優しいというのは、私には差別です。
そういった事を、思い出しました。
危険だし、ズルをする輩が現れるから、ベビーカーで初詣するのは自粛してね、という至極真っ当な呼びかけに対し、
「肩身が狭い」
「生きづらい」
「不寛容な世界」
と殊更悲壮感を漂わせて、
「もっと甘やかしてくれよ」
と訴えるのは、平等を呼びかけるというより差別してくれという風に聞こえます。
もちろん、どんな人でも住みやすい環境に整備していく事業は必要です。
ただそこには、障碍者や家族側の希望や願いであると同時に、健常者側の思いやりという優しさも半々で含まれている事も事実だと思います。
その感情のバランスはとても大事で、どちらか一方に傾き過ぎても、すぐに衝突や摩擦を引き起こしてしまう物だと、私は思うわけです。
本日仕事はじめ。
ここ最近、シングルの布団セットを買ってもらい長年愛用していたふかふかのベッドから降りて床の上で寝ていた所割と腰の調子が良かったのだが年末年始食べ過ぎた結果か今日猛烈に腰が痛い!
1時間程前に飲んだロキソニンが効いているはずで、効いてこれかよと脂汗の今です。
去年このブログを数年ぶりに再開してはみたものの、
読み返せばほとんどが芸能ネタに突っ込みを入れているだけの
駄文日記と化していた。
不特定な誰かではなく成長した娘の為に言葉を残そうと思って
再開したのに結果はなんのことやら。
今年はちゃんと価値のある言葉を残すように心がけよう。
という今後の抱負。
更新頻度が落ちる言い訳にも聞こえるが、仕方ない。
それでは2017年、始まりました。
メリークリスマス!
娘が生まれて初めてのクリスマスを迎えます。
先日、奥さんと大喧嘩をしました。
暴力的な事は一切なかったのですが、
ここ数年で一番大きく激しい言い争いをしました。
ここに書けている今現在はなんとか仲直り出来たように思うのですが、
別れたくない、離れたくないという一本の芯によって歩み寄っているだけで、根本的な問題が解決したわけではありません。
何度も同じような喧嘩をしてきましたが、今回は私の方が、
蓄積していた鬱憤がパーンとはじける形で怒髪が天を突いてしまいました。
これからも同じテーマで喧嘩するのだと思います。
そして喧嘩した時いつも思うのが、
「結局、離婚はしないのだから、一刻も早く仲直りした方がお互いの時間のためだし、家庭内の空気も改善できるのにな」
という事です。
突き詰めて考えると、じゃあ離婚するの?になるのですが、その選択肢がない以上、いつまでも怒ってたって仕方ないよなーという事。
最後にはいずれ仲直りするんだから、今しろよ、今仲直りしようよ。
頭ではいつもそう、分かっているんですけどね。
しかし年を取るとなかなか分かっていることでも実行に移せない。
今回なんか、急に怖くなって奥さんにLINEしたのですが、
送った内容が、
「仲直りの仕方がわからない」
ですからね。
37歳にもなって。
これは結局、仲直りしたいよ、と言っているのと同じなのですが、決して謝ったりなどしないという幼稚な言葉でもあるわけです。
実際これ送った時は、まだバイオリズムがありました。
喧嘩を一刻も早く終わらせたい気持ちでシュンと下を向いている状態と、ぐおおお、と怒りで気持ちが昂る状態が交互にやってくる真っ只中にありました。
そんな私への、奥さんの返信が、
「今から買い物に行くけど、何食べたい?」
です。
まるでお洒落な漫画に出てくるお洒落な夫婦のセリフみたいですね。
今までこんなに気持ちよく喧嘩が終わった事はありません。
ちょっと感動にも似た気持ちになって、早速返事をします。
ちなみにこの時絶賛仕事中です。
「餃子!」
「売ってるやつ? 作るやつ?」
「そりゃ手作りの方が美味いけど、売ってる奴でもいいから食べたい」
何度も手作り餃子を食べてきましたが、基本的に私が仕事をお休みの時に
一緒にたくさん作るという暗黙のルールを理解していたので、そう答えました。
まさかな、とは思ったのですが、帰宅してみると手作り餃子を焼いている奥さんがいました。
やられたぜ。
メリークリスマス!
それぞれの人生とは言え。
自分で考えて、自分で選択して、自分で舵を取って邁進する事が出来たら、こんなに楽しい人生はない。
しかし理想通りには行かないのもまた人生です。
なんて分かったような事を言ってみたくなる今日この頃。
成宮さんの芸能界引退のニュースをぼーっと見ていて、
「あー、そうかー」
と言うほか言葉がない。
確かに、他人が考えた絵図のままに、選択したくない道を選ばされた感はあるのですが、それでも薬物疑惑を完全に拭い切れず去る点と、以前より噂されていたゲイ及びバイ疑惑についても完全否定しきる事無く終わってしまう事が、顛末の印象をうすら寒いものにしてしまった気がします。
以前AスタジオというTV番組で明かされた兄弟の絆や辛い過去、それでもひたむきに前を見て奮闘してきた彼の人柄があっただけに残念でなりません。
簡単に、「バイでもいいじゃない。ゲイでもいいじゃない」とは言えません。
彼自身がそこに触れられたくないと思う以上、恥ずかしい恥ずかしくないではなく、世間に明かすつもりのなかったプライバシーの問題です。
そこを弄られる筋合いは誰にもないし、芸能人だからという有名税で括られる範疇には収まりきらない個人的な事です。
絶望も、憤りもあってしかるべきです。
それでも残念でならないのは、彼にはきっと俳優としての才能があったのだろうし、今後も安定した人気で活動を続けていけるだけの力があったはずのなのに、ここからまた真っ白な一歩を踏み出さなければならないという不安と無駄な疲労が待っているということ。
おそらく今の成宮さんには納得できない話だとは思いますが、いずれ世間というものは彼が「バイでもゲイでもどっちも良いと思うようになる」事は間違いありません。
人々の口に上る話題にも流行り廃りがありますから、この先ずーっと「成宮はBかGか」を囁かれ続けることなどまずあり得ません。
実際、そう噂される芸能人は何人もいまずが何食わぬ顔で歌を歌い、何くわぬ顔で誰かを演じています。
だから成宮さんにもそうしてほしかった、というのは酷な要求なのだとは思いますが、これから踏み出す新たな人生の、その一歩の重たさを思うと、周りが軽はずみやにとやかく言えたものではありません。
華やかな世界に身をおいて、これも試練と割り切って新たなステージへと踏み出す切っ掛けに、とはならないと思いますが、なにも一番辛い時に一大決心をしなくてもよいのになーと残念でなりません。
もう少しほとぼりが冷めるを待ってから、今後の事を考えてもよかったと思いますし、最低限薬物疑惑は晴らしてほしかった。
でないと、誰かも仰ってますが、まるでゲイ疑惑を隠れ蓑にして薬物疑惑から話を逸らして芸能界から逃げた、と思われても仕方ありません。
今年は芸能界のスキャンダルが止まりませんね。
ノンスタイル井上さんがひき逃げですってね。
もうスーパーポジティブキャラは通用しませんねー。
何言ったって、「お前が言うな」で上書きされてダダスベリです。
同乗していたとされるスーパーマラドーナの武智さんもどえらい貰い事故ですよこれは。
先日M−1決勝進出で一気に世に出た思った瞬間、ワイドナショーに出演して同番組の呪いに儚くも撃沈、と。
まあ、一緒に乗っていてひき逃げを黙認したわけですから、同罪ですがね。